日本人に愛される日本武尊と源義経の共通点

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

古代日本の英雄日本武尊やまとたけるのみことを主祭神とする大阪府堺市にある大鳥神社に、さっ、さささささと参りました。

日本武尊やまとたけるのみこと」は、日本書紀の表記で、

古事記での表記は、「倭建命やまとたけるのみこと」です。

 

大鳥神社の公式ホームページが「日本武尊やまとたけるのみこと」を使用していますので、

基本的に「日本武尊やまとたけるのみこと」を使用しますが、

以降古事記に沿った内容のところは、「倭建命やまとたけるのみこと」を使用します。

 

倭建命やまとたけるのみことは、遠征先で傷を負い薨去こうきょすると、その魂は白鳥となり、山を越え、いま大鳥神社がある場所に降り立ちます。

その場所に、大鳥神社を作り、倭建命やまとたけるのみことの魂を祀りました。

個人的に、倭建命やまとたけるのみことは、源義経と多くの共通項を持っていると思っています・・・

  1. 武勇の天才
  2. 勝つためなら手段を選ばない
  3. イケメン
  4. 忠義を尽くすもその相手に殺害される
  5. 悲劇のヒーロー
  6. 日本人に大人気

などなど。

1.武勇の天才

倭建命やまとたけるのみこと

兄の手足を引きちぎる

倭建命やまとたけるのみことの兄が行事に参加しなかったため、父・景行けいこう天皇から、注意しておくよう言われた倭建命やまとたけるのみことは、兄をトイレで待ち伏せし、手足を引きちぎって殺害した。

天皇の御子兄弟ですから、兄殺しの理由が「権力争い」と思いきや、どうもそんな感じではない。

ある意味、「権力争い」ではない方がより怖い。

その後、相変わらず行事に出て来ない兄について、父・景行けいこう天皇が、倭建命やまとたけるのみことに尋ねると、「手足ちぎって、袋に入れて投げ捨てた」と、平然と答える。

この狂気に父・景行けいこう天皇は、びびりまくる。

参考:古事記を読む(177)中つ巻-第12代・景行天皇

肛門から剣を突き刺す

現在の南九州である熊曽くまそ熊曽建くまそたけるを征伐する際、簡単にねじ伏せ、肛門から剣を突き刺し、熟れた瓜のように切り刻んだ。

肛門から剣が刺さった状態で、熊曽建くまそたけるは、「動かさないで」と懇願。

しばらく、その状態で会話をする謎の空間を作り出す優しさもみせるが、結局切り刻む。

参考:古事記を読む(178)中つ巻-第12代・景行天皇

 

源義経

「一ノ谷の戦い」の「鵯越ひよどりごえの逆落とし」

一ノ谷の裏の断崖絶壁を馬で駆け下る決断をし、平氏の不意を突き大打撃を負わせた。

あまりにも有名。一ノ谷は、現在の兵庫県須磨。

たまに釣りに行きますが、「須磨浦公園」には、一ノ谷の戦いの史跡の碑があります。

男は、子どもの頃、さすがに馬は無理だが、自転車、走りなどで、1回はこれを真似て、どえらい目にあっている。

「壇ノ浦の戦い」

潮の流れを見事に読み、船から船へと華麗に飛び移る八艘はっそう飛びで猛攻撃を仕掛け、平氏を滅亡に追い込んだ。

男は、子どもの頃、さすがに船は無理だが、小川の石などで、1回はこれを真似て、どえらい目にあっている。

義経は、確かに武勇の天才だと思いますが、兄・頼朝の意に沿わない独断を繰り返します。

それが、頼朝の怒りを買う一因にもなり、のちの悲劇を生むことに。

2.勝つためなら手段を選ばない

倭建命やまとたけるのみこと

女装

上記熊曽くまそ征伐の際、女装をして、熊曽建くまそたけるの家のパーティーに潜り込む。

そのあまりの美しさに熊曽建くまそたけるが横に座るよう求め、油断しきっているところを剣でブスっと。

この二流サスペンスのようなエピソードが実際に古事記にあります。

参考:古事記を読む(178)中つ巻-第12代・景行天皇

 

偽物の太刀

出雲征伐の際、殺害ターゲット出雲建いずもたけるのみこととまず仲良くなり、一緒に川で泳いだりして、丸腰にして、「お互いの太刀を交換しよう」と予め作っておいた偽物の太刀を持たせ、決闘を仕掛け、そのまま殺害した。

偽物を作るとかそんな回りくどいことをせず、丸腰のところを襲えよとも思いますが・・・

意味不明な卑劣さですが、いわゆる「武士道」の精神が根付くのは、もっともっとあとになってからです。

参考:古事記を読む(180)中つ巻-第12代・景行天皇

 

源義経

こぎ手を狙う禁じ手

上記「壇ノ浦の戦い」の際、「海上では、非戦闘員である船のこぎ手を狙わない」という当時の戦の暗黙の作法を堂々と破り、平氏側のこぎ手を次々に殺害し、動きを封じ混乱させ戦を有利に進めた。

地上戦では、乗っている馬を狙わないのが戦の作法です。

3.イケメン

倭建命やまとたけるのみこと

少女のような女装姿

上記熊曽くまそ征伐の際、女装姿の倭建命やまとたけるのみこと熊曽建くまそたけるは本当の美しい少女と勘違いした。

まぁ、中性的なイケメンだったということでしょう。

その反面、手足を引きちぎる怪力。

そのギャップが萌えるんでしょうか・・・

 

源義経

よく見る肖像画は、

ですが、

「母譲りの美形で、色白で背は低いが、その立ち振る舞いは立派」といった記録もあり、諸説あるようですが、

とりあえず、日本社会は、義経イコールイケメンで定着中。

4.忠義を尽くすもその相手に殺害される/5.悲劇のヒーロー

倭建命やまとたけるのみこと

遠征行かされまくり

父・景行けいこう天皇に認められたいがために、その命令を忠実に遂行していきます。

しかし、父・景行けいこう天皇の本心は、上記「兄の手足引きちぎり事件」以降、倭建命やまとたけるのみことの乱暴性を不安視し、自分から遠ざけるために、大した兵も同行させず南九州、関東と休む間もなく遠征を命じ、その遠征の途中で倭建命やまとたけるのみことは、力尽きます。

直接ではないにしろ、間接的に父・景行けいこう天皇に殺害されたと言っても過言ではないでしょう。

遠征中、叔母に「父は、もしかしたら、わたしが死ねばよいと思っているのではないか・・・」と胸中を漏らしますが、このへんは、義経と違って、勘の鋭さを持っていると思います笑

 

源義経

兄の意向を理解せず

その忠義を尽くす相手は、当然ながら兄・源頼朝。

この2人は、最初は、仲良く協力して平氏打倒に力を合わせるも、義経は、純粋に兄・頼朝を慕うが戦に出れば独断を繰り返し、朝廷から褒美や位を兄・頼朝の許可もなく、次々と貰っていく。

やがて両者には溝ができ、兄・頼朝は、義経追討を命じ、義経は、逃避行の末、奥州で自害した。

兄・頼朝は、京から遠く離れた鎌倉で、それまでの朝廷や公家ではなく武士中心の秩序を目指しており、また武家の棟梁として、示しをつけるため弟・義経には、特に厳しく接した一面もあると思います。

6.日本人に大人気

日本人は、武勇に秀でたイケメンが悲劇のヒーローとして最期を遂げるのが好きなんですかね・・・

義経のここまでの人気は、ちょっと個人的に理解できません・・・笑

 

むしろ、倭建命やまとたけるのみことも源義経も、とりわけ義経の空気の読めなさは、異常だと思っております・・・

 

頼朝が何を求めていたのかを最期まで理解できていなかったとしか思えない・・・

 

頼朝は、平清盛によって少年時代に伊豆に流されますが、

弟の義経は、京に残り、その後平泉に。

当時、平泉は、奥州藤原氏により、京にも負けない華やかな文化を築いており、そんな京と平泉で育った義経は、今までの秩序(朝廷や公家中心)での出世を望み、

今までの秩序をぶち破り、武士中心の秩序を目指す頼朝の考えと価値観が相反した。

 

かといって、頼朝もあまりに情けがなさ過ぎる・・・

日本史を勉強すれば、するほど、「源氏」の異常さを痛感せずにはおられない・・・

自らの目的のためなら、身内であれ、次々と殺害し・・・

鎌倉幕府も150年(9代)続いたとはいえ、実質的には、暗殺、暗殺で、3代で頼朝の直系は断絶していますし、

平氏の方がよっぽど人間味溢れる優しい人たち(少年の頼朝を情けで殺害せず、伊豆に流し、その約20年後その頼朝に滅亡させられる)であると思っていますので、わたし個人的には、生まれ変わるなら絶対に「源氏」には生まれたくないと心から思っています・・・笑

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