我が家の家宝「深窓の令嬢」ちゃん

ちまちまちま1年以上かけて古事記を現代訳していましたが、
その真意は、古事記の教育現場復帰プラス微微々でも目に入る機会が増えることを願うものでありましたが、ご譲位の話題などもあり、当初の予想よりはアクセス数があったのに加えて、思わぬ副産物がありました。
それは、わたし自身の理解が格段に深まったこと。
やっぱり散々言われていることですが、読んで理解するだけのインプット一方通行よりは、アウトプットとして吐き出してやることの大切さ。
そして、気ままに自宅でノートにアウトプットするのではなく、webという「公」に曝すということは、いい加減なことは、書けないし、表現にも気をつかうワケです。
これ、効果絶大なり。
身をもって体感しました。
読む人にも良いし、これ完全に一石二鳥です。
これに味を占め、次なるターゲットは「伊勢物語」です。
「伊勢物語」に関しては、古事記のような対外的な強い思い入れはありません・・・
ただ、わたしが、理解を深めたいというただそれ一点です。
なぜ「伊勢物語」なのか
有名どころの古典は、だいたい読んでおり、伊勢物語に関しても、例に漏れず数回読んでいるのですが、
伊勢物語というものは、短編125段からなり、ただ読むだけなら、1日もかからずさらっと読めてしまいます。
ただ、表現が言い切らず、読者に理解を投げかける度合いが断然に高く、真の理解はただ読んでいただけでは難しいのです。
そして、伊勢物語が歌物語だということです。
歌物語
ある和歌がどんないきさつで詠まれたかを描く物語
普段、生業にしている、「言葉・文字」プラスこのブログのテーマ「日本」を掛け合わせると、導き出されるのは、そうですね「和歌」です。
「和歌」なのであ~る。
ちなみに日本で最初に詠まれた和歌は、古事記にも出てくる須佐之男命による、
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
(八重の雲が湧き上がる出雲に妻が籠る八重の垣根をつくろう。その八重の垣根を)
です。
そういった方程式で、ここ1年余り和歌を深めてゆくうちに、やはり「伊勢物語」にぶち当たるのであります。
それは、伊勢物語が「古今和歌集」の和歌を含む歌物語だからです。
我が家の家宝
わたしの実家には、深窓の令嬢のごとく、棚の奥深くにしまわれた本があります。
それは、まさに「令嬢」で箱は和紙に包まれ、本自体もビニールで包まれ、読んで欲しいのか読んで欲しくないのか分からない状態です。
わたしの感覚では、本なんてものは、己の理解のためには、線を引きまくり、ポストイットなどを貼り、ボロボロになるというのが本の冥利だと思っていますが・・・
話を戻すと、その令嬢は、誰に読まれることもなく大事に大事にしまわれているのです。
その正体は、母方の祖父の兄が書いた「歌集」です。
祖父の兄、つまり大伯父は、知る人ぞ知る(大多数が知らない)多くのお弟子さんを抱える歌人の「小崎碇之介」でした。
令嬢に迫る
和歌を勉強し始めてしばらく経った頃、この「令嬢」のことを思い出しました。
そこは、同じ三十一文字(五・七・五・七・七)で通じるものがあります。
和歌は、詠むテーマが予め決められている場合も多々あり、ガチガチのルールのなかで表現をします。
それは、決して悪い意味ではなく、没個性です。
しかし、紀貫之なり西行なり、大歌人になってくると、この歌は、貫之らしいなというものが分かってきます。
一方、短歌は、正岡子規や与謝野晶子の旦那である与謝野鉄幹が和歌なんてものは、古くさいと言って、大批判をして始めたもので、三十一文字は、同じですが、ルールなしの自由なものです。
自己の主張に良くも悪くも溢れています。
いずれにせよ、日本が誇るべき立派な日本独自の文化です。
話を令嬢に戻すと、実家に帰ったときに母に頼み、その令嬢をしばらく引き渡してもらい、
家でパラパラと読んでいると、確かに、文語体ですので、予め和歌や古典を読んで文法的なことを頭に入れていないと難しい表現も多々あるのですが、あぁ、やっぱり素晴らしい。
大伯父は、原爆を経験しており、そういったことも己の表現で瑞々しく表現されています。
小説などとは違って、制限された文字数のなかで如何に表現するか・・・その密度、凝縮され洗練された表現に魅力を感じます。
正直、わたくし現在進行形で三十一文字の世界に魅了されております。
長々となりましたが、そういうワケで、伊勢物語に繋がってゆくのです。