伊勢物語-第百二十三段 年を経て

 
伊勢物語







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

(原文)

むかし、男ありけり。

 

深草にすみける女を、やうやう飽きがたや思ひけむ、かかる歌をよみけり。

和歌(206)

年を経てすみこし里をいでていなばいとど深草野とやなりなむ

 

女、返し、

和歌(207)

野とならばうづらとなりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ

 

とよめりけるにめでて、行かむと思ふ心なくなりにけり。

 

(現代訳)

昔、男がいた。

 

深草に住んでいた女を、次第に飽きてきたと思ったのだろう、このような歌を詠んだ。

和歌(206)

長年の間住み慣れた深草の里を私が出て行ってしまえば、深草の里も草深い深草の野となり荒れてしまうのだろう。

 

女が返した、

和歌(207)

この深草の里が深草の野となり荒れ果てるなら、私はうづらとなって鳴いているでしょう。そうすれば貴方は、せめて狩りにだけでもおいでにならないでしょうか…きっともおいでになるはずです。

 

と詠んだのに感心をして、男は出て行こうという気持ちが無くなってしまったのであった。

  • 深草

京都市伏見区北部。

 

  • 和歌(207)

「かり」は、「狩」と「仮」を掛けている。

 

話としては分かりやすい。

長年住んでいるうちに男が、嫌いとゆう訳では決してないが…なんとなく飽きてきて出て行こうかと思う心を詠みます。

 

女の返歌は、掛詞を使用した技巧的、かつ受け身でしおらしい女のおだやかな性格をよく表すもので、男は出て行こうとゆう心を無くしてしまいました。

 

どこか、「第二十三段 筒井筒」の女を彷彿とさせるような…そして共通点は、離れ掛けた男が女のもとに戻ってきています。

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