伊勢物語-第十五段 しのぶ山
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、みちの国にて、なでふことなき人の妻に通ひけるに、あやしうさやうにてあるべき女ともあらず見えければ、
和歌(23)
しのぶ山忍びてかよふ道もがな人の心のおくも見るべく
女、かぎりなくめでたしと思へど、さるさがなきえびす心を見ては、いかがはせむは。
(現代訳)
昔、奥州の地で、取り立てて言うことも無い平凡な夫の妻となっている女のもとに、男が通っていたが、
不思議とそのような平凡な夫の妻でいるのが当然である女でもないように見えたので次の歌を送った。
和歌(23)
信夫山という名のように、人目につかず忍んで奥へ通じる道があれば良いな。あなたの心の奥をのぞき見るために。
女はこの上なく嬉しく思ったが、このような鄙びな生活をおくっている者の心の奥をのぞき見てもどうしようもないと思うのであった。
福島県の信夫山と「忍ぶ」が掛かっています。
七段から続いて来た東下りの物語はこの段で終了です。
東北というこの時代で言えば、鄙びの地ですが、そんな土地で平凡な夫の妻であることがふさわしくないと思えるほど、高貴な女性に巡り会います。
第十四段の女とは対照的で、このような高貴な女性ほど謙虚で控えめで、謙遜して返答の歌も返しませんでした。
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