伊勢物語-第二段 西の京
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、男ありけり。
奈良の京は離れ、この京は人の家まだ定まらざりける時に、西の京に女ありけり。
その女、世人にはまされりけり。
その人、かたちよりは心なむまさりたりける。
ひとりのみもあらざりけらし。
それをかのまめ男、うち物語らひて、帰り来て、いかが思ひけむ、時はやよひのついたち、雨そほふるにやりける。
和歌(3)
起きもせず 寝もせで 夜を明かしては 春のものとて 眺めくらしつ
(現代訳)
昔、男がいた。
都は、すでに奈良の都(平城京)を離れ、この都(平安京)にまだ人家も定着していないとき、その都の西の京に女が住んでいた。
その女は、世間の人より優れていた。
その人は、容姿ではなく、心が優れていた。
そして、その女は、独り身ではないが、かの誠意ある男がいろいろと語り合ったのち、
帰って来て、どう思ったのであろうか・・・ときは三月一日、雨がしとしとと降り続く折り、次の歌を送った。
和歌(3)
起きるでもなく、寝るでもなく、夜を明かすと、春らしい長雨が降っており、それを眺めながら、物思いにふけって過ごしていました。
平安京の朱雀大路を境にして、西の部分。
東の部分から開発が進み、西の部分は開発が遅れていました。
さて、この開発が遅れている西の京に住む女は、伊勢物語を貫く精神「みやび」か「ひなび」どちらの心を持っているか・・・
これは、「容姿ではなく、心が優れていた」や男のもの思いにふける感じから容易に想像がつくと思いますが、「みやび」の心を持っていたと考えるのが自然です。
第一段とも通じるところがあり、傍流というか1.5流への思いというか、こじつけ過ぎかもしれませんが、
業平自身の
臣籍降下した生い立ち、旧都の女、新都の開発が遅れている地域の女。
これら傍流もしくは1.5流への愛がこの第一、第二段では垣間見れます。
これ個人的に安心します。
古事記などは、ひたすら、女性の魅力は容姿の美しさでしか語られませんが、時代が下ったからなのか、作者の主義なのかは、分かりませんが、容姿ではなく、心の美しさが語られており、これが、伊勢物語でいう「みやび」の心です。
第二段の歌は、第一段の積極的な行動とは対比的な感じですが、がつがつと行くだけではなく、こうしたもの思いにふけるところも「みやび」の心なのでしょう・・・
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