伊勢物語-第二十七段 たらひの影 2020-04-26 2020-07-07 WRITER 雨野やたしげ この記事を書いている人 - WRITER - 雨野やたしげ フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」 (原文) むかし、男、女のもとに一夜いきて、またもいかずなりにければ、女の、手洗ふ所に、 貫簀ぬきすをうちやりて、たらひのかげに見えけるを、みづから、 和歌(59) わればかりもの思ふ人はまたもあらじと思へば水の下にもありけり とよむを、来ざりける男たち聞きて、 和歌(60) 水口に我や見ゆらむかはづさへ水の下にて、諸声もろごえに鳴く (現代訳) 昔、ある男が女の所に一晩行ったものの、二度と行かなくなってしまったので、 女が手洗い所で水がはねないように盥たらいを覆う貫簀ぬきすを取り除くと、 自分の顔が盥たらいの水面に映り込んだのを見て、自ら歌を詠んだ。 和歌(59) わたしほど物思いにふける人は他にいないと思っていたら、盥たらいの水面にもいましたよ と歌を詠む様子を、訪ねて来なくなった男が立ち聞きして、 和歌(60) おそらく盥たらいの水口にわたし(男)の姿が映り込んだのでしょう。 蛙であっても田の水下で声をあわせて鳴くのです。 同様に、わたし(男)も貴女と声を合わせて泣いています。 和歌(60) 逢えなくて物思いにふけっているのは、貴女だけだはなく、わたしもです。 一見、男も逢えないことを悲しんでいますが、田の蛙に例えるあたりが、女の「鄙ひなび」を表していて、そのあたりが二度と通わなくなった遠因ととることも。 伊勢物語の根底に流れるものは、この「鄙ひなび」への軽蔑。 この記事を書いている人 - WRITER - 雨野やたしげ フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」 前の記事 -Prev- 伊勢物語-第二十六段 もろこし船 次の記事 -Next- 伊勢物語-第二十八段 あふごかたみ 関連記事 - Related Posts - 伊勢物語-第十段 月しあれば(伝 為氏本) 伊勢物語-第百十六段 はまびさし 伊勢物語-第百八段 浪こす岩 伊勢物語-第四十八段 人待たむ里 最新記事 - New Posts - 伊勢物語 あとがき 伊勢物語-第十八段 あきの夜も(伝 為氏本) 伊勢物語-第十七段 夢と知りせば(伝 為氏本) 伊勢物語-第十六段 太刀のをがはの(伝 為氏本)