伊勢物語-第九段 東下り

 
伊勢物語







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

(原文)

むかし、男ありけり。

 

その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方にすむべき国求めに、とて行きけり。

 

もとより友とする人、ひとりふたりして行きけり。

 

道知れる人もなくて、まどひ行きけり。

 

三河の国八橋といふ所にいたりぬ。

 

そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋といひける。

 

その沢のほとりの木のかげにおりゐて、乾飯かれいひ食ひけり。

 

その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。

 

それを見て、ある人のいはく、「かきつばた、といふ五文字いつもじを句のかみにすゑて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。

和歌(10)

から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ

 

とよめりければ、皆人、乾飯かれいひの上に涙おとしてほとびにけり。

 

行き行きて駿河の国にいたりぬ。

 

宇津の山にいたりて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦かへでは茂り、もの心ぼそく、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者すぎやうざあひたり。

 

「かかる道は、いかでかいまする」といふを見れば、見し人なりけり。

 

京に、その人の御もとにとて、文かきてつく。

和歌(11)

駿河なるうつの山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり

 

富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。

和歌(12)

時しらぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪のふるらむ

 

その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十はたちばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。

 

なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中にいと大きなる河あり。

 

それをすみだ河といふ。

 

その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかなとわびあへるに、

渡守わたしもり、「はや船に乗れ、日も暮れぬ」といふに、乗りて渡らむとするに、皆人物わびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。

 

さる折しも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつついをを食ふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人見しらず。

 

渡守わたしもりに問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、

和歌(13)

名にしおはばいざ言問はむみやこどりわが思ふ人はありやなしやと

 

とよめりければ、船こぞりて泣きにけり。

 

(現代訳)

昔、男がいた。

 

その男は、自身の身を無用のものと思い込んで、「京には住まない。東国に住める場所を求めよう」と出発した。

 

以前からの友を一人二人と連れだって行った。

 

道を知っっている人もおらず、迷いながら行ったのであった。

 

三河の国の八橋という所に行き着いた。

 

そこを八橋というのは、水が流れる川筋が蜘蛛の手のように八方に分かれており、八つの橋をわたしたことから、八橋と言うのであった。

 

その沢のほとりの木陰に降りて腰を下ろし、乾飯かれいひを食べた。

 

その沢には、かきつばたがたいへん美しく咲いていた。

 

それを見てある人が言うには「かきつばたという五文字をそれぞれの句の頭において、旅の心を詠め」と言ったので、以下のように詠んだ。

和歌(10)

からの着物をずっと着ていると身に馴染んでくるように、長年身近にいて親しんできた妻を都に置いてきたので、その都からはるばると遠くへやって来たなとしみじみと思う。

 

と詠んだので、同行した人は皆乾飯かれいひの上に涙を落としたので乾飯かれいひが涙でふやけてしまったのであった。

 

さらに先へ先へと行き、駿河の国に着いた。

 

宇津の山に行き着いて、自分が踏み入ろうとする道は、たいへん暗く細く蔦や楓が茂り、何となく心細く、とんでもない目に合うのではないかと思っているときに、修行者に出会った。

 

「どうしてこのような道をお通りなっていらっしゃる」と言うのを見れば、逢ったことのある人であった。

 

そこで、京に、あのお方の御ところにと、手紙を言付ける。

和歌(11)

駿河の国の宇津の山辺をまで来ていますが、さびしくて人通りもありません。現実に人気はなく、夢の中でさえあなたに逢うことができません。

 

富士山を見れば、もう五月の末だというのに、雪がたいそう白く降っている。

和歌(12)

時節を知らない山は、富士だ。今を一体いつだと思って子鹿の背中のようにまだら模様に雪が降っているのだろうか。

 

その山(富士山)を京でたとえるならば、比叡山を二十ばかり重ね上げたほどのものであり、形は塩尻のようでした。

 

なおさらに先へ先へと行き、武蔵の国と下総の国との境に、たいそう大きな河がある。

 

その河をすみだ河という。

 

その河のほとりに集まって腰を下ろし、京の方に思いをやれば、限りなく遠くへ来たものであるなとわびしい思いでいると、

渡守わたしもりが「はやく船に乗れ。

 

日が暮れてしまう」と言うので、船に乗って河を渡ろうとしたところ、人々が皆わびしく心細い気持ちになり、京に愛しく思う人がいないわけではない。

 

そんなときにちょうど、白い鳥の、くちばしと足が赤く、鴫くらいの大きさの鳥が水の上で遊びながら魚をとって食べていた。

 

京では見られない鳥なので、誰もその鳥の名を知らない。

 

渡守わたしもりに聞いたところ「これこそが都鳥です」と言うのを聞いて、

和歌(13)

都鳥という名を持つならば、さあ問うてみよう。

わたしが愛しく思う人は、無事に過ごしているのか、どうかと。

 

と詠んだので、船の上にいる皆がこぞって泣いたのであった。

  • 自身の身を無用のものと思い込んで

そう思うに至った推測は諸説ありますが、この前に藤原高子たかいことの恋に破れた話が来ているので、シンプルに高子たかいことの恋模様が関係していると考えるのが一般的です。

 

  • 和歌(10)

ら衣 つつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞ思ふ」

五、七、五、七、七の各句の頭に任意の五文字を据えて詠む、和歌でいう、いわゆる折句という技法です。

 

「かきつばた」の折句を詠むのがメインなので、和歌自体としては、いまいち意味のとりにくいものになっています。

かきつばた
アヤメ科の多年草。初夏に濃紫色の花を咲かせる。

 

この九段 東下りも伊勢物語を代表する段ですが、業平なりひらを含めた一行からは、わびしさやセンチメンタルさがにじみ出ています。

 

この段の和歌は、古今集、新古今集で羈旅きりょで採られているものが多いですが、今で言う旅行などとは違い、やむを得ずの旅であるからこそ、ことあるごとにその感情が出ています。

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