古事記を読む(151)中つ巻-第10代・崇神天皇

 







この記事を書いている人 - WRITER -
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

三輪山の大物主神おおものぬしのかみ

崇神すじん天皇の御世には、疫病が流行り、国民が絶えてしまいそうになりました。

このとき、天皇はお悲しみになり、神意を得るために神床かむとこという特別に清めた床でお眠りになりました。

その夜、大物主神おおものぬしのかみが夢に現れ、次のように仰せになりました。

「疫病は、わたしの意思である。意富多々泥古おおたたねこという人物に我が御霊を祭らせなさい。祟りも起きず、国は平安になるであろう」

 

早速、早馬の使者を四方に遣わせ、意富多々泥古おおたたねこという人物を探したところ、河内の美努村みののむら(大阪府八尾市)で意富多々泥古おおたたねこを見つけました。

 

崇神すじん天皇が、

「おまえは誰の子か」

とお尋ねになると、

 

意富多々泥古おおたたねこは、

「わたしは、大物主大神おおものぬしのおおかみが、陶津耳命すえつみみのみことの娘である活玉依毘売いくたまよりびめと結婚して生まれた櫛御方命くしみかたのみことの子である飯肩巣見命いいかたすみのみことの子である建甕槌命たけみかづちのみことの子の意富多々泥古おおたたねこです」

と答えました。

建甕槌命たけみかづちのみこと国譲りのときに活躍した建御雷神たけみかづちのかみとは別の神です。

 

大物主神おおものぬしのかみは、古事記では、大国主神おおくにぬしのかみの国作りのときに少名毘古那神すくなびこなのかみ常世国とこよのくにに旅立った後に登場し、大国主神おおくにぬしのかみと国作りをすすめます。

つまり、大国主神おおくにぬしのかみとは別の存在として扱われていますが、日本書紀では、大国主神おおくにぬしのかみの別名という扱いになっており、様々な議論を呼んでいます。

 

しかし、今読んでいるのは、あくまで古事記ですので、古事記の解釈に基づいた読み方をするのが本筋だと思います。

この記事を書いている人 - WRITER -
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」




Copyright© 深夜営業ジャパノロジ堂 , 2018 All Rights Reserved.