古事記を読む(179)中つ巻-第12代・景行天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
小碓命の熊曽征伐
それを聞いた熊曽建は、
「まさにその通りです。西にはわたしたちを除いて強いものはいない。
しかし、大和国にはわたしたちよりも強い男がいた。わたしからあなたへ名前を差し上げたく思います。
これからは、倭建御子と名乗ってください。」
と言いました。
熊曽建がそう言い終えると、
小碓命は、
熊曽建を熟した瓜を切り刻むようにずたずたに切り裂いてしまいました。
それから小碓命は、倭建命と呼ばれるようになりました。
こうして、大和へと帰る途中に山の神、河の神、そして海峡の神を説得して従え、大和の地に戻りました。
こうしたいきさつで、小碓命が倭建命を名乗るようになりました。
古代、名前がたくさんあるということは、それだけ役割がたくさんあったということでしょう。
古代日本のもう1人の英雄大国主神も数え切れないほどの名前をもっていました。
小碓命(
倭建命)は、
熊曽征伐を終えて、父である
景行天皇のもとに意気揚々と帰って行きます。
しかし、父景行天皇は冷たく、労う間もなく、次なる遠征を命じます。
小碓命(
倭建命)は、懸命に父
景行天皇に尽くすのですが、一方通行で2人の間には大きな溝がありました。
兄源頼朝に必死に尽くすも、結果その労は一向に報われず、殺害される源義経をどうしても思い出してしまいます。
小碓命(
倭建命)にしろ、源義経にしろ、空気を読めていない感は確かに存分にあるのですが・・・
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