古事記を読む(184)中つ巻-第12代・景行天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
倭建命の東征
そして、倭建命は、甲斐の国に着くと、酒折宮で次の歌をお詠みになりました。
和歌(24)
新治や筑波を過ぎて、幾夜か寝つる
(新治や筑波の地を過ぎてから、いくつの夜を寝ただろう)
するとそのとき、かがり火の番をしていた老人がこの歌に続けて次の歌を詠みました。
(日に日を並べて、夜は九夜、日は十日でございます)
倭建命は、その老人を誉めると、
東国造を賜いました。
倭建命は、信濃を越え、信濃の坂の神を説得し、平定すると、尾張国に戻りました。
そして、以前に婚約した美夜受比売の元へと行くと、美夜受比売は、倭建命への食事を献上し、酒を酌みました。
そのとき、美夜受比売は、の衣服の裾に月経の血が付いていました。
その月経の血を見ると、倭建命は、次の歌をお詠みになりました。
和歌(26)
ひさかたの 天の香具山 鋭喧に さ渡る鵠 弱細 撓や腕を 枕かむとは 吾はすれど さ寝むとは 吾は思へど 汝が着せる 襲の裾に 月立ちにけり
(天の香具山の上を鳴いて渡って行く白鳥よ。その細長い首のようにか弱いしなやかな腕を枕にしようとわたしは、するのだけれども、あなたとともに寝たいとわたしは、思うののだけれども、あなたの衣服の裾に月が出てしまった )
これに対して、美夜受比売は、次の歌をお詠みになりました。
和歌(27)
高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経れば あらたまの 月は来経行く うべな うべな うべな 君待ちがたに 我が着せる 襲の裾に 月立たなむよ
(光り輝く御子よ。わたしの大君よ。年月が経てば、月も経て行きます。
いかにも いかにも いかにも あなたを待ちきれないで、わたしの衣服の裾に月が出てしまいました)
こうしたことがあり2人は、結婚しました。
倭建命は、叔母の
倭比売命から授かった草薙の剣を
美夜受比売の元に置き、伊吹山の神を討ち取りに行きました。
和歌(26):「ひさかたの」は、「天」にかかる枕詞。天の香具山は故郷大和の山です。そこを通る白鳥を思い浮かべ、そして月が出たと思ったら、月経も来てしまった・・・という「月」と「月経」を掛けた下世話な歌・・・笑
和歌(27):「高光る」は、「日の御子」にかかる枕詞。「年月の経過」と「月の経過」と「月経」を掛けています。
詠む人によっちゃセクハラでだいぶ気持ち悪がられる攻めた和歌です。
婚約している2人であり、倭建命だから成立するのでしょう。
真似は、禁物です。
甲斐の国の酒折宮は、山梨県で、和歌に出てくる新治や筑波は、共に茨城県です。
この東征がいかに過酷を極めた無謀なものだったかが良く分かります。
しかもその直前には、西征で南九州まで遠征して大和に戻ると、すぐに東征に出ている訳ですから・・・
そもそも東征を命じた父・景行天皇は、倭建命が生きて帰ってくることを望んでいない訳ですから、その無謀な命令も理解できます。
偶然なのか、現在、草薙の剣は、倭建命がその剣を置いた地である尾張(愛知県)の熱田神社にあります。
参考:三種の神器は、今現在どこにあるのか?