古事記を読む(196)中つ巻-第14代・仲哀天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

神功じんぐう皇后の新羅遠征

そこで神功じんぐう皇后は、教えられたように、軍を整えると、船を並べて海を渡りました。

 

そのとき、海原の魚が大小かかわりなく、ことごとく皆神功じんぐう皇后の船を背負いました。

 

その上、強い追い風が吹き、船は波が進むのにまかせてぐんぐんと進んで行きました。

 

ついに、船が立てる波が、新羅の国に押し上がり、その波は、勢いよく国の半分程に達しました。

 

これに新羅の国王は、かしこまり、

「今後、天皇のお言葉に従い、馬飼いとして、毎年船を並べて、船の腹を乾かすことなく、さおや舵を乾かすことなく、天地が続く限り、永遠にお仕え致します」

と申しました。

 

これによって、

新羅を馬飼いの国と定めました。

百済の国を海の御料地と定めました。

 

そして、神功じんぐう皇后は、杖を新羅の国王の家の門に突きたてて、

住吉三神の荒御魂あらみたま国守神くにもりのかみとして祀り、国に帰りました。

 

神功じんぐう皇后は、新羅征伐がまだ終わらないうちに、子を生みそうになりました。

 

そこで神功じんぐう皇后は、腹を落ち着かせようと、石を腰に巻き付けました。

 

そして筑紫国にお戻りになると、御子(品陀和気命ほむだわけのみこと:のちの応神おうじん天皇)をお産みになりました。

 

その御子が生まれた土地を「宇美うみ(福岡県宇美町)」といいます。

 

その腰に巻き付けた石は筑紫国の伊斗村いとのむら(福岡県糸島市)にあります。

仲哀ちゅうあい天皇が崩御されたとはいえ、完全に神功じんぐう皇后の話になっています。

 

新羅征伐の神託を告げた「住吉三神」は、海の神です。

 

朝鮮半島と貿易を行っていた大阪の豪族の氏神です。

 

このことと、新羅征伐が関係あるのかは分かりませんが・・・

 

そして、やはり気になるのが、石を腰に巻いて、出産を遅らせたくだり

どういう原理?

 

そして、久々に出ました。

地名駄洒落。

宇美うみには、宇美神社があり、神功じんぐう皇后や応神おうじん天皇などが祀られています。

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