古事記を読む(198)中つ巻-第14代・仲哀天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

香坂王かぐさかのみこ忍熊王おしくまのみこの反逆

神功じんぐう皇后は、大和国にお帰りになるときに、人々が疑わしく思え、誰かが生まれたばかりの御子の命を狙っているのではないかと考えました。

 

そこで、棺を乗せた喪船もふねを用意させ、御子である品陀和気命ほむだわけのみこと応神おうじん天皇)をその船に乗せて、

 

「御子は、すでに亡くなりました」

 

と言い広めさせました。

 

このようにして、大和国へと進むと、

御子の腹違いの兄である香坂王かぐさかのみこ忍熊王おしくまのみこ品陀和気命ほむだわけのみことの死と皇后の帰国を知り、

待ち受けて神功じんぐう皇后の殺害を企てました。

 

それで斗賀野とがので、「誓約狩うけいがり」をしました。

 

香坂王かぐさかのみこがくぬぎの木に登って遠くを眺めていたところ、そこに大きな怒った猪が現れ、そのくぬぎの木を掘り倒し、香坂王かぐさかのみこを食い殺してしまいました。

 

しかし、香坂王かぐさかのみこの弟である忍熊王おしくまのみこは、それを恐れることなく、軍勢を強めて、神功じんぐう皇后を攻めようと待ち受けました。

 

そして、忍熊王おしくまのみこは、喪船もふねをやり過ごし、兵船を攻撃しました。

 

しかし、神功じんぐう皇后の軍隊は、喪船もふねから降りてきて、戦となりました。

 

忍熊王おしくまのみこは、難波の吉師部きしべの祖である伊佐比宿禰いさひのすくねを将軍として、

品陀和気命ほむだわけのみことは、丸邇臣わにのおみの祖である難波根子建振熊命なにわねこたけふるくまのみことを将軍として、戦いました。

 

そして、太子側(品陀和気命ほむだわけのみこと)が優勢で、忍熊王おしくまのみこは、

山代(京都府南部)にまで至りましたが、忍熊王おしくまのみこ側が、持ち直して、互いに引かない膠着状態となりました。

誓約狩うけいがり吉兆を狩りによって行う。

 

神功じんぐう皇后は、新羅征伐で新羅を平定して、戻って来たのですから、本来は英雄のはずです。

しかし、遠征の疲れを癒やす暇もなく、国内で内乱が始まってしまいます。

そして、それを神功じんぐう皇后は、予想し、策を前もって準備していました。

 

このエピソードだけで、神功じんぐう皇后の危機管理と頭の良さがうかがい知れます。

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