古事記を読む(210)中つ巻-第15代・応神天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

大山守命おおやまもりのみことの反逆

川の中央に差し掛かると、舵取りに扮した宇遅能和紀郎子うじのわきいらつこは、船を傾かせて、大山守命おおやまもりのみことを水の中へ落としました。

 

大山守命おおやまもりのみことは、浮かび上がると、川に流されて下って行きました。

 

そして、大山守命おおやまもりのみことは、流れながら、次の歌を詠みました。

和歌(45)

ちはやぶる 宇治の渡に さを執りに 速けむ人し 我がもこに来む

(宇治川の渡し場で、船のさおを操るのが素早い人よ。わたしのところに来ておくれ)

 

そのとき、川辺のほとりに隠れていた兵が、あちこちから一斉に現れて、矢を放ちました。

大山守命おおやまもりのみことは、訶和羅之前かわらのさきにまで流れると沈んでいきました。

 

かぎでその沈んだ辺りを捜索すると、大山守命おおやまもりのみことが服の中に着込んでいた鎧に引っ掛かり、「訶和羅かわら」と鳴りました。

 

そこで、その土地を訶和羅之前かわらのさきと言います。

 

その大山守命おおやまもりのみことの遺体を引き上げたとき、弟の宇遅能和紀郎子うじのわきいらつこは、次の歌をお詠みになりました。

和歌(46)

ちはやひと 宇治の渡に 渡り瀬に 立てる 梓弓檀 い伐らむと 心は思へど い取らむと 心は思へど 本方は 君を思ひ出 末方は 妹を思ひ出 いらなけく そこに思ひ出 かなしけく ここに思ひ出 い伐らずそ来る 梓弓檀

(宇治川のほとりに生えるまゆみの木よ。
木を伐って弓にしようと思うけれど、その弓で射抜いてしまおうと思うけれど、
妹を思い出し、心を痛めて思い出し、悲しく思い出し、伐らずにおこうまゆみの木よ)

 

大山守命おおやまもりのみことの遺体は、奈良山に葬られました。

大山守命おおやまもりのみことは、土形君ひじかたのきみ幣岐君へきのきみ榛原君はりはらのきみらの祖です。

 

大雀命おほさざきのみこと宇遅能和紀郎子うじのわきいらつこは、互いに皇位を譲り合ことになりました。

そんなとき、海人あま大贄おおにえを献上したところ、兄はこれを辞退して弟に貢がせ、弟はこれを辞退して兄に貢がせました。

 

お互いが譲り合っているうちに、多くの日数が経ちました。

 

こういった譲り合いが一度や二度ではなく起こり、海人あまは、行き来に疲れてしまい、泣いてしまいました。

 

そのため、ことわざの「海人なれや、己が物によりて泣く」は、このようなことのためです。

 

宇遅能和紀郎子うじのわきいらつこは、早くに薨去こうきょされ、大雀命おほさざきのみことが天下を統治なさいました。

大贄おおにえ神や天皇への貢ぎ物。

 

川に流されながら、歌を詠む姿はなかなかシュールです。

なので、本当に詠んだのではなく、後付けです。

 

美しい兄弟間での譲り合い。

という反面、この間天皇不在で、海人あまも行ったり来たりで少なからずの影響を周囲に及ぼしていたのは、間違いなく、結局は、弟の宇遅能和紀郎子うじのわきいらつこの死をもって、その譲り合いに終止符が打たれました。

この部分、日本書紀では、宇遅能和紀郎子うじのわきいらつこは自ら命を絶っています。

 

このような背景があって、大雀命おほさざきのみことは、日本最大の古墳である大阪府堺市の仁徳天皇陵の主となり後世に語り継がれる仁徳にんとく天皇として、即位します。

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