軽太子と軽大郎女
軽太子は、
伊余湯(道後温泉)に島流しにされました。
また、軽太子は、流されようとしているときに、次の歌を詠みました。
和歌(77)
天飛ぶ 鳥も遣いそ 鶴が音の 聞こえむ時は 我が名問はさね
(天を飛ぶ鳥は、使いの鳥です。鶴の声が聞こえた時はわたしの名を尋ねてほしい)
この3首の歌は、天田振です。
和歌(78)
大君を 島に放らば 船余り い帰り来むぞ 我が畳ゆめ 言をこそ 畳と言はめ 我が妻はゆめ
(大君であるわたしを島に放しても帰ってくるから、わたしの畳を変えないでほしい。言葉で「畳」と言ったが、我が妻こそ変わらないでいてほしい)。
夷振の
片下です。
衣通王(
軽大郎女)は、次の歌を詠みました。
和歌(79)
夏草の 相寝の浜の 牡蠣貝に 足踏ますな あかして通れ
(相寝の浜の牡蠣の殻を足で踏まないように、夜が明けるのを待ってから行ってください)
軽大郎女は、そのあとも
軽太子を恋慕う気持ちを抑えられなくて、追いかけて行ったときに、次の歌を詠みました。
和歌(80)
君が行き け長くなりぬ 山多豆の 迎へを行かむ 待つには待たじ
(あなたが行ってしまってから、長い月日が経ちました。迎えに行きましょう。もう待ってはいられません)
山多豆は、現在の
造木のことです。
衣通王(
軽大郎女)が追いついたときに、
軽太子が待ちきれずに次の歌を詠みました。
和歌(81)
こもりくの 泊瀬の山の 大峰には 旗張り立て さ小峰には 旗張り立て 大小よし 仲定める 思ひ妻 あはれ 槻弓の 臥やる臥やりも 梓弓 起てり起てりも 後も取り見る 思ひ妻 あはれ
(泊瀬の山の大峰に旗を立てて、小さな峰にも旗を張り立てて、仲を定めた愛しい妻よ。寝ているときも、起きているときも、これからも見守っているよ。愛しい妻よ)
また、次の歌を詠みました。
和歌(82)
こもくりの 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を掛け 真くびには 真玉を掛け 真玉なす 我が思ふ妹 鏡なす 我が思う妻 有と言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲はめ
(泊瀬川の上の瀬に清浄な杙を打ち、下の瀬には立派な杙を打ち、清浄な杙には鏡を掛けて、立派な杙には立派な玉を掛けます。その立派な玉のようにわたしが大切に思う妹よ、その鏡のようにわたしが大切に思う妻がいるのならば、家にも行くし、故郷のことを偲んで懐かしく思う)
このように歌を詠むと、2人は、自害しました。
この2つの歌は、読歌と言います。