古事記を読む(234)下つ巻-第19代・允恭天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

軽太子かるのひつぎのみこ軽大郎女かるのおおいらつめ

軽太子かるのひつぎのみこは、伊余湯いよのゆ(道後温泉)に島流しにされました。

また、軽太子かるのひつぎのみこは、流されようとしているときに、次の歌を詠みました。

和歌(77)

天飛ぶ 鳥も遣いそ 鶴が音の 聞こえむ時は 我が名問はさね

(天を飛ぶ鳥は、使いの鳥です。鶴の声が聞こえた時はわたしの名を尋ねてほしい)

 

この3首の歌は、天田振あまたぶりです。

 

和歌(78)

大君を 島に放らば 船余り い帰り来むぞ 我が畳ゆめ 言をこそ 畳と言はめ 我が妻はゆめ

(大君であるわたしを島に放しても帰ってくるから、わたしの畳を変えないでほしい。言葉で「畳」と言ったが、我が妻こそ変わらないでいてほしい)。

 

夷振ひなぶり片下かたしもです。

 

衣通王そとおりのみこ軽大郎女かるのおおいらつめ)は、次の歌を詠みました。

和歌(79)

夏草の 相寝の浜の 牡蠣貝に 足踏ますな あかして通れ

(相寝の浜の牡蠣の殻を足で踏まないように、夜が明けるのを待ってから行ってください)

 

軽大郎女かるのおおいらつめは、そのあとも軽太子かるのひつぎのみこを恋慕う気持ちを抑えられなくて、追いかけて行ったときに、次の歌を詠みました。

和歌(80)

君が行き け長くなりぬ 山多豆やまたずの 迎へを行かむ 待つには待たじ

(あなたが行ってしまってから、長い月日が経ちました。迎えに行きましょう。もう待ってはいられません)

 

山多豆やまたずは、現在の造木みやつこきのことです。

衣通王そとおりのみこ軽大郎女かるのおおいらつめ)が追いついたときに、軽太子かるのひつぎのみこが待ちきれずに次の歌を詠みました。

和歌(81)

こもりくの 泊瀬の山の 大峰には 旗張り立て さ小峰には 旗張り立て 大小よし 仲定める 思ひ妻 あはれ 槻弓の 臥やる臥やりも 梓弓 起てり起てりも 後も取り見る 思ひ妻 あはれ

(泊瀬の山の大峰に旗を立てて、小さな峰にも旗を張り立てて、仲を定めた愛しい妻よ。寝ているときも、起きているときも、これからも見守っているよ。愛しい妻よ)

 

また、次の歌を詠みました。

和歌(82)

こもくりの 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を掛け 真くびには 真玉を掛け 真玉なす 我が思ふ妹 鏡なす 我が思う妻 有と言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲はめ

(泊瀬川の上の瀬に清浄なくいを打ち、下の瀬には立派なくいを打ち、清浄なくいには鏡を掛けて、立派なくいには立派な玉を掛けます。その立派な玉のようにわたしが大切に思う妹よ、その鏡のようにわたしが大切に思う妻がいるのならば、家にも行くし、故郷のことを偲んで懐かしく思う)

 

このように歌を詠むと、2人は、自害しました。

 

この2つの歌は、読歌よみうたと言います。

結局、軽太子かるのひつぎのみこ軽大郎女かるのおおいらつめは、2人で自害する末路になりました。

 

皇位の継承が決まっていた軽太子かるのひつぎのみこが、実の妹と禁断の愛を結び、約束された皇位の座を追われたのは、この允恭いんぎょう天皇の条の記述を読む限り、百官もものつかさ(多くの官僚・役人)という、いわゆる部下たちの意向が大きく働いたと読むことができます。

それだけではなく、部下たちの信頼を失い皇位を追われただけではなく、島流しにあい、自害という悲しい末路になってしまいました。

 

これで、允恭いんぎょう天皇の条は、終わりです。

次からは、第20代・安康あんこう天皇です。

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