古事記を読む(243)下つ巻-第21代・雄略天皇

引田部の赤猪子
あるとき、雄略天皇がお出掛けになり、美和河に到着したとき、川辺に衣を洗う童女がいました。
容姿が非常に美しかったので、天皇は、その童女に、
「おまえは誰の子か」
とお尋ねになると、
「わたしの名は、引田部の赤猪子と言います」
と答えました。
そこで、天皇は、
「おまえは、男に嫁がないでいなさい。今に宮中に呼び寄せるから」
と仰せになり、宮中にお帰りになりました。
そして、その赤猪子は、天皇からお声が掛かるのを命令のままに待って80歳になりました。
ようやく赤猪子は、
「天皇の命令を待っている間に、わたしは、多くの年をとってしまいました。姿は、痩せてしぼみ、もう嫁ぐところもない。しかし、待っていた気持ちを天皇に表さないでいるのは、とても我慢できず、耐えられない」
と思いました。
百取の机代物を人に持たせて、参上して献上しました。
しかし、天皇は、以前に赤猪子に告げたことをすっかり忘れていて、赤猪子に問いました。
「おまえは、どこの老女だ。どうして参上して来たのだ」
赤猪子は、
「ある年のある月に天皇の命令を受けて、宮中へお呼びが掛かるのを今日に至るまでずっと待っておりましたら、80歳になってしまいました。現在は、容姿はすでに老いてもう嫁ぐところもありません。しかし、せめてわたしの志をお伝えしようと参上いたしました」
と申し上げました。
これに、天皇はとても驚き、
「わたしは、以前のことはすっかり忘れてしまった。しかしおまえが志を守り、命令を待って、盛りの年を無駄に過ごしてしまったのは、とても気の毒なことだ」
と仰せになりました。
天皇は、内心ではこの赤猪子を娶ろうかと思いましたが、非常に老いているのを躊躇して、娶ることはできないと思い、次の歌をお詠みなりました。
(御諸山(三輪山)神聖な樫の木の根元の、その樫の木の根元のように、神聖で近寄ることができない樫原の乙女よ)
また、次の歌をお詠みなりました。
(引田の若い栗林の栗のように、若いときに添い寝していたらよかったのになぁ。わたしは、すっかり老いてしまったなぁ)
赤猪子は、泣いた涙で、赤く染めたその服の袖を濡らしてしまいました。
そこで、赤猪子は、天皇の歌に答えて、次の歌を詠みました。
(御諸山(三輪山)に築いた立派な玉垣の、築き残りの玉垣は、誰を頼れば良いか。神の宮人であるわたしは)
また、次の歌を詠みました。
日下江の 入り江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも
(日下の入り江の蓮のその蓮の花のように、美しく盛りの人が羨ましい)
そこで、天皇は、多くの贈り物をその老女に与えて、送って帰らせました。
この4首の歌は、志都歌といいます。
百取の机代物:たくさんの数の引き出物。
この赤猪子の話は、悲しくもおかしい話としてよく引用されます。
本人にとっては、人生を棒に振ってしまい辛いのですが・・・
例のごとく、80歳の「8」は、非常に長い年月を表すもので、実際に80歳ではないのでしょうが、もうかなり年老いている年齢になっていることは間違いないのでしょう。
残虐性を極める雄略天皇ですが、そこまでの忠誠心を見せられ、内心で「今から嫁に・・・」と模索しますが、やはりそこは、あまりの老いのため断念します。
和歌(85)でやんわりと娶ることができないことを伝えるのですが、あくまで、赤猪子が年老いてしまったからではなく、自らの老いが理由であることを伝えています。
これに赤猪子は、喜びとまでは言えないでしょうが、悲しみではない、涙を流します。
そして、最後の和歌(87)がしみじみと悲しい思いにさせます。