一言主大神
またあるとき、天皇は、葛城の山にお登りになりました。
するとそのとき、大きな猪が現れ、天皇が鳴鏑でその猪を射ると、その猪が怒って唸りを上げて走って来ました。
天皇は、その唸りを恐れて榛(ハンノキ)の上に登って座りました。
そこで、次の歌をお詠みになりました。
和歌(90)
やすみすし 我が大君の 遊ばしし 猪の 病み猪の うたき畏み 我が逃げ登りし あり丘の 榛の木の枝
(我が大君が、狩りをした猪が、その傷付き病んだ猪が、怒って唸りを上げた。それを恐れ、わたしが逃げて登った、その丘の榛の木の枝よ)
あるとき、天皇が葛城の山にお登りになったとき、百官(多くの官僚・役人)たちは、紅い紐をつけた青染めの衣服を与えられて着ていました。
そのとき、向かいの山の尾根から山の上に登って来る人たちがいました。
その人たちの行列は、天皇の行列と同じで、その装束の様子や人数もそっくりで、同じようでした。
天皇は、それをご覧になると、
「この倭国にわたし以外に王はいない。今、一体誰がこのように同じ様子でいるのか」
と尋ねさせると、
それに答える様子もまた天皇と同じ様子でした。
これに天皇は、大いにお怒りになり、矢をつがえ、百官の人たちも皆、矢をつがえました。
すると、その相手の者たちも皆、矢をつがえました。
それで天皇が、
「ならばその名を名乗れ。それぞれ名を名乗ってから矢を放とう」
とお尋ねになると、
「わたしが先に問われたのだから、わたしがまず名乗ろう。わたしは、凶事も吉事も一言で言い分ける神である一言主大神である」
とお答えになりました。
天皇は、恐れ畏まり、
「恐れ多いことです。我が大神。宇都志意美とは存じ上げませんでした」
と仰せになり、
大御刀や弓矢をはじめとして、
百官の人たちの着ている衣服を脱がせて、拝んで献上しました。
すると、一言主大神が柏手を打って捧げ物を受け取りになりました。
天皇がお帰りになろうとすると、大神は、山の峰から長谷山の麓までお見送りになりました。
一言主大神は、こうしてそのとき、姿を現しになりました。