古事記を読む(258)下つ巻-第24代・仁賢天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

后妃こうひ皇子女おうじじょ

袁祁王をけのみこ顕宗けんぞう天皇)の兄の意祁王おけのみこは、

石上いそのかみ廣高宮ひろたかのみやで天下を統治なさいました。

 

天皇が、

大長谷若建おおはつせのわかたける雄略ゆうりゃく天皇)の子である春日大郎女かすがのおおいらつめと結婚して生まれた子が、

高木郎女たかぎのいらつめ

次に財郎女たからのいらつめ

次に久須毘郎女くすびのいらつめ

次に手白髮郎女たしらかのいらつめ

次に小長谷若雀命おはつせのわかさざきのみこと

次に眞若王まわかのみこ

 

また丸邇日爪臣わにのひつめのおみの娘の糠若子郎女ぬかのわくごのいらつめと結婚して生まれた子が、

春日山田郎女かすがのやまだのいらつめです。

 

この天皇の子は、併せて7柱。

 

この中の小長谷若雀命おはつせのわかさざきのみこと(のちの武烈ぶれつ天皇)が、天下を統治なさいました。

注目すべきは、やはり、仁賢にんけん天皇が父の仇でもある、雄略ゆうりゃく天皇の娘の春日大郎女かすがのおおいらつめと結婚していることです。

そして、2人の間にできた小長谷若雀命おはつせのわかさざきのみことが次の第25代・武烈ぶれつ天皇として即位します。

 

雄略ゆうりゃく天皇の子である清寧せいねい天皇には、

子が無く、雄略ゆうりゃく天皇の系譜は途絶えていましたが、

この結婚で雄略ゆうりゃく天皇の系譜が統合という形で再度本流に戻りました。

何かしらの和解が行われたと考えるのが自然かと思います。

 

仁賢にんけん天皇の条は、これで終了です。

次からは、第25代・武烈ぶれつ天皇

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