古事記を読む(259)下つ巻-第25代・武烈天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
武烈天皇の治世
小長谷若雀命は、
長谷の
列木宮において、8年間、天下を統治なさいました。
この天皇には、太子がいらっしゃいませんでしたので、御子代として小長谷部を定めました。
御陵は、片岡の石坏岡にあります。
天皇が崩御されても、皇位を受け継ぐ王がいらっしゃいませんでしたので、
品太天皇(第15代・
応神天皇)の5世の子孫である
衰本杼命(のちの
継体天皇)を
近淡海国から上らせて、
手白髪命と結婚させて天下を授けました。
武烈天皇の御代にいよいよ、子だけでなく親族にも皇位を引き継ぐ後継者がいなくなります。
苦肉の策として、第15代・応神天皇の5世の子孫である衰本杼命なる人物を引っ張り出してくるのですが、これが現在でも様々な議論を呼んでいます。
皇室に反対する人たちは、このとき引っ張って来た衰本杼命(のちの継体天皇)は、血縁関係など無いのに、あるように偽って皇位を継承させたという主張をします。
つまり、この継体天皇のときに、万世一系は終了していたのではないかと。
この真意は、分かりませんが、いずれにせよ古事記には、ずいぶんと遠戚ではあるが、応神天皇の系譜であるとされていますので、皇位を継ぐ資格は備わっているワケです。
武烈天皇の条は、これで終了です。
仁賢天皇以降は、最後までこういった簡略的な記述となっています。
次からは、第26代・継体天皇です。
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