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古事記を読む(264)下つ巻-第29代・欽明天皇

 







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雨野やたしげ
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰を強く願う「自分たちの神話を学ばない民族に未来はない」。

后妃こうひ皇子女おうじじょ

宣化せんか天皇の弟である天国押波流岐廣庭天皇あめくにおしはるきひろにわのすめらみことは、

師木嶋大宮しきしまのおおみやで天下を統治なさいました。

 

天皇が、

桧坰天皇ひのくまのすめらみこと宣化せんか天皇)の御子である石比売いわひめのみことと結婚して生まれた子が、

八田王やたのみこ

次に沼名倉太玉敷命ぬなくらふとたましきのみこと(のちの敏達びだつ天皇)。

次に笠縫王かさぬいのみこ

3柱です。

 

またその妹である小石比売命おいわひめのみことと結婚して生まれた子が、

上王かみのみこ

1柱です。

 

また春日日爪臣かすがのひつめのおみの娘である糠子郎女ぬかこのいらつめと結婚して生まれた子が、

春日山田郎女かすがのやまだのいらつめ

次に麻呂古王まろこのみこ

次に宗賀倉王そがのくらのみこ

3柱です。

 

また宗賀稲目宿禰大臣そがのいなめのすくねのおおおみの娘である岐多斯比売きたしひめと結婚して生まれた子が、

橘豊日命たちばなのとよひのみこと(のちの用明ようめい天皇)。

次に妹石坰王いもいわくまのみこ

次に足取王あとりのみこ

次に豊御気炊屋比売命とよみけかしきやひめのみこと(のちの推古すいこ天皇)。

次に麻呂古王まろこのみこ

次に大宅王おおやけのみこ

次に伊美賀古王いみかごのみこ

次に山代王やましろのみこ

次に妹大伴王いもおおとものみこ

次に桜井玄王さくらいのゆみはりのみこ

次に麻奴王まののみこ

次に橘本若子王たちばなのもとのわくごのみこ

次に泥杼王ねどのみこ

13柱です。

 

また岐多志毘売命きたしびめのみことの伯母である小兄比売おえひめと結婚して生まれた子が、

馬木王うまきのみこ

次に葛城王かつらぎのみこ

次に間人穴太部王はしひとのあなほべのみこ(のちの用明ようめい天皇后)。

次に三枝部穴太部王さきくさべのあなほべのみこ、別名、須売伊呂杼すめいろど

次に長谷部若雀命はつせべのわかさざきのみこと(のちの崇峻すしゅん天皇)。

5柱です。

 

この天皇の御子は、全て合わせて25柱です。

 

この中の沼名倉太玉敷命ぬなくらふとたましきのみこと(のちの敏達びだつ天皇)が天下を統治なさいました。

次に橘豊日命たちばなのとよひのみこと(のちの用明ようめい天皇)が天下を統治なさいました。

次に豊御気炊屋比売命とよみけかしきやひめのみこと(のちの推古すいこ天皇)が天下を統治なさいました。

次に長谷部若雀命はつせべのわかさざきのみこと(のちの崇峻すしゅん天皇)が天下を統治なさいました。

 

こうして、合わせて4柱の王が天下を統治なさいました。

欽明きんめい天皇の条でも、崩御した年齢、御陵の場所に関する記述がありません。

 

橘豊日命たちばなのとよひのみこと(のちの用明ようめい天皇)、用明ようめい天皇は、言わずと知れた聖徳太子の父親になりますので、ここに来てようやく日本史におけるメジャーな名前にたどり着きました。

そして、間人穴太部王はしひとのあなほべのみこ(のちの用明ようめい天皇后)は、その聖徳太子の母親に当たります。

 

欽明きんめい天皇の条は、これで終了です。

次回からは、第30代・敏達びだつ天皇です。

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雨野やたしげ
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