古事記を読む(52)上つ巻-大国主神
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
因幡の素兎
(以下、兎の語り)
兎は、
「わたしは、淤岐島に居りました。この地に渡ろうとしましたが、渡る方法がありませんでした。
そこで、海の和邇を騙して、
『わたしとあなたと、どちらの一族の数が多いのか競ってみよう。あなたはある限りの一族を集めて、この島から気多の岬まで列になって並んでください。そうしたら、その上をわたしが飛んで走りながら数えて、わたしの一族とどちらが多いか知ることにしよう』
と言いました。
和邇が騙されて列になって伏せているときに、わたしはその上を踏んで数えながら渡りました。ちょうど地に下りようというときに、わたしは、
『おまえたちはわたしに騙されたのだ』
と言い終わるや否や、一番端に伏していた和邇が、わたしを捕まえて、わたしの皮を剥ぎ取ってしまったのです。
そして泣いていると、八十神の兄弟神達が通りかかり、
『海水を浴びて、風に当たって伏せていろ』と教えてくれました。
そして、その教えのとおりにしていると、我が身はすっかり傷だらけになりました」
と言いました。
和邇:一般的にはワニザメのことだと言われていますが、いわゆるワニという意見と論が分かれるみたいです。
わたしの皮を剥ぎ取ってしまった:原文では「我が衣服を剥ぎき」となっています。兎が衣服というのもおかしいし、海水にしみるのも「皮」を剥がされてこそだと思いますので、「皮」としましたが、斐伊川を八岐大蛇に例えたように、もしかしたら人を兎に例えているのかもしれません。
要は、
兎が淤岐島から気多に渡る手段が無かったので、
「どちらの種族が多いか比べよう。並んで列になってくれたら数える」
と和邇を騙して並ばせて和邇の背中を渡って来たが、気多に降り立つ最後のとき、最後尾の和邇に
「ばーか。騙されてやんの」
と言ったら、捕まって皮を剥ぎ取られたという話です。
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