伊勢物語-第百二段 世のうきこと
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、男ありけり。
歌はよまざりけれど、世の中を思ひしりたりけり。
あてなる女の尼になりて、世の中を思ひうんじて、京にもあらずはるかなる山里に住みけり。
もとしぞくなりければ、よみてやりける。
和歌(178)
そむくとて雲には乗らぬものなれど世の憂きことぞよそになるてふ
となむいひやりける。
斎宮の宮なり。
(現代訳)
昔、男がいた。
男は、歌は詠まなかったが、男女の仲の機微を十分にわきまえていた。
高貴な女が、尼になって、世の中のいろいろなことにうんざりして、都にも住まずに、はるか遠くの山里に住んでいた。
もとは、親族同士であったことから、男は、歌を詠み送った。
和歌(178)
世をそむき、出家したといっても仙人のように雲に乗って世の中から離れてしまえるわけではないでしょうが、世の中のごたごたからは離れられるといいますね。
と詠み送った。
この人は、伊勢神宮の斎宮を勤められていた人である。
ここでは、恬子内親王のこと。
伊勢物語-第六十九段 狩の使
を中心とする伊勢神宮の斎宮・恬子内親王と業平の物語の後日談でしょうか。
何があったのか、斎宮であった恬子内親王が出家をなされ、業平がなぐさめの歌を送っています。
かつて、恋をして一夜の情を交わした女が出家をし、俗世界を離れてゆく…
そして二人とも歳もとったことでしょう、この世は無常であり、しみじみとした哀れみを感じずにはおれません。
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