(原文)
むかし、左兵衛の督なりける在原の行平といふありけり。
その人の家によき酒ありと聞きて、上にありける左中弁藤原の良近といふをなむ、まらうどざねにて、その日はあるじまうけしたりける。
なさけある人にて、かめに花をさせり。
その花のなかに、あやしき藤の花ありけり。
花のしなひ、三尺六寸ばかりなむありける、それを題にてよむ。
よみはてがたに、あるじのはらからなる、あるじしたまふと聞きて来たりければ、とらへてよませける。
もとより歌のことは知らざりければすまひけれど、しひてよませければかくなむ、
和歌(177)
咲く花の下にかくるる人を多みありしにまさる藤のかげかも
「などかくしもよむ」といひければ、「おほきおとどの栄花のさかりにみまそがりて、藤氏のことに栄ゆるを思ひてよめる」となむいひける。
皆人、そしらずなりにけり。
(現代訳)
昔、左兵衛の督であった在原行平という人がいた。
その行平の家に良い酒があると人々が評判を立てたので、殿上の間に伺候していた左中弁の藤原の良近という人を正客として、その日は饗応を催した。
この行平は、風流を解する人物で、花瓶に花を挿していた。
その花の中に、珍しい藤の花があった。
花の房が、三尺六寸(1m10cm)ほどもあった。
その見事な藤の花を題にして歌を詠む。
皆が詠み終わる頃に、主人である行平の兄弟である男が、饗応を催していると聞いてやって来たので、つかまえて、歌を詠ませた。
もともと歌のことは知らなかったので、男は断っていたが、無理に詠ませたところ、このように詠んだ。
和歌(177)
大きく咲く藤の花房の下に入って、おかげを被る者が多いので、以前にもまして大きな藤の花の陰が広がっていることよ。
人々が「どうしてこのように詠むのか」と言ったところ、「太政大臣が繁栄の極みにいらっしゃり、藤原氏がとりわけ栄えているのを思って詠んだものです」と言ったのであった。
人々は皆、この理由を聞いて歌のことを非難しなくなった。