伊勢物語-第百一段 あやしき藤の花

 
伊勢物語







この記事を書いている人 - WRITER -
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

(原文)

むかし、左兵衛さひやうゑかみなりける在原の行平といふありけり。

 

その人の家によき酒ありと聞きて、上にありける左中弁さちゆうべん藤原の良近まさちかといふをなむ、まらうどざねにて、その日はあるじまうけしたりける。

 

なさけある人にて、かめに花をさせり。

その花のなかに、あやしき藤の花ありけり。

 

花のしなひ、三尺六寸ばかりなむありける、それを題にてよむ。

よみはてがたに、あるじのはらからなる、あるじしたまふと聞きて来たりければ、とらへてよませける。

 

もとより歌のことは知らざりければすまひけれど、しひてよませければかくなむ、

和歌(177)

咲く花の下にかくるる人を多みありしにまさる藤のかげかも

 

「などかくしもよむ」といひければ、「おほきおとどの栄花のさかりにみまそがりて、藤氏のことに栄ゆるを思ひてよめる」となむいひける。

 

皆人、そしらずなりにけり。

 

(現代訳)

昔、左兵衛さひょうえふかみであった在原行平という人がいた。

 

その行平の家に良い酒があると人々が評判を立てたので、殿上の間に伺候しこうしていた左中弁さちゅうべんの藤原の良近まさちかという人を正客として、その日は饗応きょうおうを催した。

 

この行平は、風流を解する人物で、花瓶に花を挿していた。

その花の中に、珍しい藤の花があった。

 

花の房が、三尺六寸(1m10cm)ほどもあった。

その見事な藤の花を題にして歌を詠む。

 

皆が詠み終わる頃に、主人である行平の兄弟である男が、饗応きょうおうを催していると聞いてやって来たので、つかまえて、歌を詠ませた。

 

もともと歌のことは知らなかったので、男は断っていたが、無理に詠ませたところ、このように詠んだ。

和歌(177)

大きく咲く藤の花房の下に入って、おかげを被る者が多いので、以前にもまして大きな藤の花の陰が広がっていることよ。

 

人々が「どうしてこのように詠むのか」と言ったところ、「太政大臣が繁栄の極みにいらっしゃり、藤原氏がとりわけ栄えているのを思って詠んだものです」と言ったのであった。

 

人々は皆、この理由を聞いて歌のことを非難しなくなった。

  • あるじのはらからなる

行平の兄弟である男、つまり業平のこと。

 

  • 饗応きょうおう

酒や食事を出して人をもてなすこと。

 

  • 和歌(177)

「藤の花」は「藤原氏」に掛けられ、その花房はとても大きい。

そして、その大きな花房でできる花陰に隠れて、多くの人がその権威に媚びて、恩恵を受けている…そのため、ますます藤の花が大きくなり…

 

 

時代背景としては、太政大臣・藤原良房の娘・明子あきらけいこが、文徳天皇との間に惟仁これひと親王を生み、次期天皇の座が約束され、藤原氏の権威がますます強くなっている時期です。

 

和歌(177)は、藤原氏の栄華を称えているようで、その権威に媚びている連中をちくりとやっています。

業平の才気と気概が垣間見れますよね。

この記事を書いている人 - WRITER -
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」




Copyright© 深夜営業ジャパノロジ堂 , 2021 All Rights Reserved.