伊勢物語-第百十九段 形見
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、女のあだなる男の形見とて置きたる物どもを見て、
和歌(201)
かたみこそ今はあたなれこれなくは忘るる時もあらましものを
(現代訳)
昔、女が、浮気な男が他の女のもとへ行く際に形見として残し置いた物などを見て、
和歌(201)
この形見こそ今は辛く恨めしいのです。これさえ無ければあの人のことを忘れる時もあるでしょうに。
和歌(201)は、同じものが『古今集』恋四の七四六にも収録されています。
これは現代でもあることで、このパターンは、
- 早く忘れたいのに、形見のせいで忘れられない(恋)
- 二度と思い出したくもないのに、形見のせいで忘れられない(恨み)
の2パターンがあり得るのかと…
形見といっても色々あり、ここでは何のことを言っているのかが判然としませんが、中には、物理的、生活上捨てたくても捨てることができないものもあり得るのかと…
これが目に入るたびに、あの浮気男のことが思い出され腹立たしい…(恨み)のような解釈も。
『古今集』は、「恋」の部に収録しており、編者は、この歌を「恋」と判断したのでしょう。
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