伊勢物語-第百段 忘れ草
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、男、後涼殿のはさまを渡りければ、あるやむごとなき人の御局より、「忘れ草を忍ぶ草とやいふ」とて、いださせたまへりければ、たまはりて、
和歌(176)
忘れ草おふる野辺とは見るらめどこは忍ぶなりのちも頼まむ
(現代訳)
昔、男が宮中の後涼殿の間を渡って通りすぎたところ、
ある高貴な方のお部屋から「この忘れ草のことを忍ぶ草と言うのでしょうか」と言って、
男の通り道に差し出しになされたので、頂戴して、
和歌(176)
私が貴女のことを忘れてしまったとお思いでしょうが、私は貴女のことを忘れてしまったのではなく、人目を忍んでいるのです。これからもあなたを偲び頼りにするつもりです。
「忘れ草」と「忍ぶ草」は、似て非なるものという設定がまずあります。
自分のもとに一向に通って来なくなった男に高貴な女が問います。
「これは、忘れ草ですか?それとも忍ぶ草ですか?(通ってこないのは、私のことを忘れてしまったのか、それとも人目を忍んでいるだけなのか?)」
これに対して、男は、
「貴女は、私が貴女のことを忘れてしまったと思っているかもしれないが、人目を忍んでいるのです。これからもあなたを偲び頼りにする次第です」
「しのぶ」に「忍ぶ」と「偲ぶ」を掛けて答えます。
このやりとりは、『大和物語』にも登場し、
男は「忘れ草」を「忍ぶ草」と言い張っている感がありますが…どうなのでしょう。
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