伊勢物語-第百二十段 筑摩の祭
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、男、女のまだ世経ずとおぼえたるが、人の御もとにしのびてもの聞えて、のち、ほど経て、
和歌(202)
近江なる筑摩の祭とくせなむつれなき人の鍋の数見む
(現代訳)
昔、男が、まだ男を経験してないと思っていた女がある高貴な男性と人目を忍んで語らい、関係を持った後、しばらくしてそのことを知り、男が女に次のように詠んだ。
和歌(202)
近江の筑摩神社の祭りを早くいたしましょう。異性になど興味が無いという風だった女が、何個の鍋を頭にかぶっているのかを見たいものです。
滋賀県の筑摩神社では、女性が、経験した男性の数だけ鍋をかぶって参詣奉納する風習がありました。
「鍋冠祭」は、今でも毎年5月3日に行われていますが、さすがに現在は、単に鍋を1つだけかぶるだけのお祭りです。
和歌(202)の「つれなき」は、この男自身もこの女にかつて、つれない返事をされた過去があるのでしょう。
異性自体に興味がないと思っていた女が、高貴な男性とは通じていた…男は腹立たしさと好奇心で、「筑摩の祭」を早くして欲しい、と詠みました。
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