伊勢物語-第五段 関守
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、男ありけり。
東の五条わたりにいと忍びていきけり。
みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、わらはべの踏みあけたる築地のくづれより通ひけり。
人しげくもあらねど、たび重なりければ、あるじ聞きつけて、その通ひ路に、夜ごとに人をすゑて守らせければ、行けどもえ逢はで帰りけり。さてよめる。
和歌(6)
人しれぬ わが通ひ路の 関守は よひよひごとに うちも寝ななむ
とよめりければ、いといたう心やみけり。
あるじ許してけり。
二条の后に忍びて参りけるを、世の聞えありければ、兄人たちの守らせたまひけるとぞ。
(現代訳)
昔、男がいた。
東の京の五条通りの辺りに、たいそう人目を忍んで通っていた。
こっそりと人目を避けて通うような所なので、門から入ることができず、子供たちが踏み開けた土塀の崩れた所を通って出入りしていた。
この邸は、人の出入りが多いというわけではないが、男が何度も通って来て出入りしていたので、邸の主人がこれを聞きつけて、
その通い路に毎晩番人を置いて見張りをさせたので、男は、通って行ったけれども逢うことができず、帰ったのであった。
そして歌を詠んだ。
和歌(6)
こっそりと人知れず通うわたしの通い路で見張りをしている関守は、毎夜毎夜よく寝てしまって欲しいものだ。
と詠んだので、女はたいそう心を痛めてしまった。
そのため、邸の主人は、男が通って来るのを許してやった。
これは、二条の后(藤原高子)のもとに男が人目を忍んで通っていたのを、世間の評判を気にして、二条の后の兄たちが番人を置いて守らせたということだ。
仁明天皇の后・藤原
順子のことであり、
高子の叔母に当たります。
その叔母が業平が通って来るのを許したという記述がありますが、
常識的に考えて、自分たちの権力基盤拡大のために入内させようと考えている高子のもとに、身分も低い業平が通ってくるのを許すとは考えにくいですが。
今後も物語中にしばしば登場しますが、高子の兄である藤原国経、藤原基経のこと。
第四段では、高子は、すでに後宮に入ってしまい、手の届かない存在になっていたので、この第五段とは時系列的に見ると、前後しています。
伊勢物語は、物語のつながりや時系列などは、バラバラであまり重視しておらず、そのあたりは、歌物語の大らかさとでも言いましょうか・・・
比較的意味はとりやすい段であり、「和歌(6)」も言わんとしていることは明確かと思います。
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