伊勢物語-第七段 かへる浪
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、男ありけり。
京にありわびてあづまにいきけるに、伊勢、尾張のあはひの海づらを行くに、浪のいと白くたつを見て、
和歌(8)
いとどしく 過ぎゆく方の 恋しきに うらやましくも かへる浪かな
となむよめりける。
(現代訳)
昔、男がいた。
京に住んでいるのが辛くなって、東国に行ったのだが、伊勢と尾張の間の海岸を通って行くときに、波がとても白く立っているのを見て、
和歌(8)
日が経ち、ますます京から離れゆくほどに、京が恋しくなってくるというのに、寄せてはまた返ってゆくうらやましい波よ。
と、詠んだのであった。
いわゆる、「東下り」の話です。
「ありわびて」は、「いるのが苦痛になって」というニュアンスであり、現代でいう楽しい旅行などではなく、どこか不本意ながら都を離れてゆくのが垣間見られます。
そして、この当時の東国(京から見て)は現代とは違い、辺境の地です。
寄せては返る波を見て、京に返ることができない己を重ね合わせて、うらやましがっています。
この「東下り」の話も十五段まで続き、伊勢物語では重要な位置付けです。
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