「武士道」が繋いだ縁
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
台風が来るということで、家にこもり、停電に備えてパソコンの電源も切り、
「武士道」新渡戸稲造 著
を再読した。
「武士道」も「古事記」同様、日本人の心根を成すものと勝手にとらえているので、数年単位で読み返している。
毎回理解は深まるが、はっきり言って、その真理の理解は、なかなか難しい・・・笑
かつての五千円札の肖像であった新渡戸稲造の天才ぶりだけは、容易に理解できる。

新渡戸稲造は、この日本人の
心根を海外に示すべく、この書を英語で書いた。
日本語で読まれている「武士道」は、その翻訳物である。

20代の頃、2ヶ月ほどの長期入院を余儀なくされたことがあった。
入院生活に備え、家から数冊の本を持って行ったのだが、そのときこの「武士道」もカバンに忍ばせた。
とりあえず、時間だけは膨大にある。
4人部屋の大部屋でわたしは、「武士道」を読んでいた。
すると、
「ほ~!!『武士道』ですか?」
と同じ部屋の田中さん(仮名)が満面の笑みで声を掛けてくれた。
感想を訊かれ、
わたしは、畏れ多くも、解釈できた部分を自分のフィルタを通して、話した・・・
田中さんは、御年70歳過ぎの恰幅の良い方であり、うんうんと笑みを浮かべて聞いてくれた。
そして、
田中さんは、
「なるほど。わたしも今まで数回にわたって読んでますよ。とても大切な本だ」
と仰った。
それをきっかけに良く話をさせていただくようになり、
わたしは、それ以降、田中さんに何故か「名誉教授」と呼ばれるようになった・・・笑
田中さんは、
末期のガンであること、
高野山の景色が良いところにお墓を作ったこと、
その自慢のお墓に入る楽しみなどを悲壮感なく闊達に話してくれた。
自分の死後も誇り高く思い描く矜持の人であった。
わたしの退院日が決まり報告すると、
「名誉教授の住所を教えて」
と言われた。
何故かと思いながらも、快く快諾し、住所を紙に書き、田中さんの住所も教えていただいた。
そして、
「生きている間は、年賀状を必ず送る。年賀状が来なくなったらそういうことだと思って」
と言われた。
「分かりました・・・」
寒さがまだ残る3月上旬わたしは、退院した。
明くる年、田中さんから年賀状が届き安堵したが、
その次の年は、年賀状は、残念ながら届かなかった・・・
代わりに奥様から、その旨を綴るご丁寧なおはがきを頂いた。
音楽を聴くとそのときの思い出が蘇るが、これは、本にも言えて、
わたしは、「武士道」を読むと、あの入院の日々と田中さんのことを思い出す。