続・二十歳の原点

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

なんやかや、なんやかや、後回し、後回しの末、

「二十歳の原点」高野悦子 著

を再読。

 

わたしの稚拙な読解力では、高野さんが二十歳という若さで何故自殺という道を選んだのかがやはり読み解けない。

 

第三者がしたり顔で、人の死についてああだこうだと分かったような顔をするのもどうかと思うが・・・

 

人の心というのは、そんな単純なものではないのだし・・・

 

「二十歳の原点」は、高野さんの自殺後、彼女の下宿先に遺されていた十数冊の大学ノートに書かれていた日記を彼女の父親がまとめ、1971年に出版したもので、300万部を超える大ベストセラーとなっている。

「この当時にちょうど大学生だった世代、特に学生運動に参加していた連中は、みんな読んでいる」
と知り合いのその世代のおっちゃんが昔言っていた。

 

日記にも二通りあり、昨今のようにweb上に予め公開する前提で書かれたものと、非公開前提でノートに書かれたものとでは、全くその暗黒度が異なり、当然ながら「二十歳の原点」は後者である。

当然、その内容は、生々しく、高野さんの可愛らしい容姿とのギャップも読者に衝撃を与える。

「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。

極めて共感する一文だが、

「独りであること」は、いわゆる「人間は独りでは生きていけない」の「独り」ではない、とあくまで個人的に解釈している。

 

「人間は独りでは生きていけない」、これはその通りである。

 

この文脈で「独りで生きてきた」と豪語する人物がいれば、それは嘘であり、あまりにも傲慢であり、あまりにも哀しい。

その上で、わたし自身も決してマイナスなイメージではなく、高野流「独り」を用いることがあったが、よく誤解を生んできた。

暗い人間と思われたり・・・

友達おらへんと思われたり・・・

緑の血流れとる思われたり・・・

(笑)

 

あえて言葉にすると、

親の庇護ひごのもとでしか生きられず、愛情たっぷりに育てられている赤ちゃんも「独り」ということだと勝手に解釈して勝手に共感している。

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