高校卒業前日に担任から「嫌い」と伝えられたお話

(敬称略)
卒業シーズン、街を歩けば袴姿の女性がたくさんいて、ただそれだけでつい見とれてしまいます。
袴の女性を見ると反射的に南野陽子が脳裏を闊歩するのは、おっさんの証しであり、当時まだ小学生低学年であったにもかかわらず、その脳に強烈に刻み込み、30年近い歳月が経とうとも瞬時にフラッシュバックさせる瞬発力・・・
恐るべし・・・
ここまで、ある分野で誰かの脳を支配したら、もうその人の勝ちである。
「ちはやふる」で今をときめく広瀬すずが袴を着ようが、現在、醜聞極まる離婚話の渦中の南野陽子が、
袴に関してはわたしの中で勝ちなのであり、平成が終わろうとしているなか、昭和生まれの男にとって、袴イコール南野陽子と言っても過言ではないのである。
まぁ、そんな話はどうでもよくて、高校卒業時の話を、最近の韓国との政治情勢とともに思うことがあるので、書いて行きたいと思う次第です。
わたしは、あの子が嫌い
寒さも随分と薄れ、高校の卒業式の前日、もう学校はしばらく前から休みに入り、明日卒業式を迎えるだけであったわたしは、1人家にいた。
そんなとき家の電話が鳴った。
出てみると同級生のA君であった。
A君は、わたしの出席番号の前の子で、何か学級の連絡事項があると、A君から電話が掛かってきて、用件を聞き、それをわたしが次のB君に伝え、順々に伝えて行くという流れ。
ちょっとした追加の持ち物の用件を聞いたわたしは、当然のように、
「分かった~じゃあB君に伝えとくわ~」
すると、
A君「あっ、あっ、B君に伝えんでええねん・・・」
「えっ?なんで?」
A君「う~んと・・・他の子には先生(50代:女性)が直接、連絡してるみたいやから」
「えっ?なんで?」
A君「う~んと・・・卒業式明日やから、ちょっとした話しながら、みんなには先生が直接、連絡してるみたいやねんけど、俺に掛かってきたときに『わたし、雨野君嫌いやから、連絡事項はA君から伝えといて。他の子はみんなわたしが直接電話掛けるから』て。」
一瞬、頭が真っ白になり、
「えっ?ほーーー・・・分かった・・・」
なんだこの気持ちは・・・
今なら一笑に付して、人間たる者好き嫌いは、教育者であろうが当然あるのは承知するが、何故それを口にする。
懇々と説教したい気分だが、当時のほっぺも赤い赤いわたしは、少なからずショックを受けた。
ぐるぐると思考を回転させる。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐる~
すると、A君にまで怒りが沸いて来、何故バカ正直にそのまま言う?
オブラートに包め!
もうちょっと上手いこと言えんか・・・
そして、最大の疑問。
担任は、「あなたが嫌い」をわたしに伝えたかったのか?
ということ。
まさか、A君がバカ正直にそのまま言わないと思っていたのか?
はたまた、
卒業式を明日に控えて、「その秘めたる思い」をどうしても間接的にわたしに伝えたかったのか?
まぁ、結局は、確認しないまま卒業したので、未だミステリーである。
そして、まだほっぺも赤い赤いわたしは、考えるのである。
(なんで・・・なんで・・・先生・・・なんで僕そんなに嫌われているの・・・僕が何をしたって言うの?)
1秒後、冷静になり、
「あっ、ぎょうさんあるわ」
と。
学年5位から学年最下位
高校入学時、同級生は400人おり、最初の試験でわたしは、勉強せずに学年5位だった。
中学3年のとき、他の同級生がみんな行っている塾ではなく、真面目にやりたかったので同級生が誰も行っていない塾を選んで通わしてもらった。
中学3年の夏で部活を引退して、それまでほとんどやっていなかった受験勉強を本格的に始め、そこから毎日本当に夜中の2時、3時までやった。
親にやり過ぎと怒られても、やった。
当然、成績は上がったが、成績には表われない体育以外の副教科と内申点が絶望的に悪かった。
塾の先生は、そんな実情を知らないので、やたらと偏差値の高い高校にも行けると鼻息をフンフンさせている。
私立の数教科の試験だったら確かにそうした高校にも頑張れば行けたかも知れないが、公立志望で内申点も加味したら、とても無理なことはわたし自身分かっていたが、
とても言い出せず、指摘する同級生もおらず、流れに流れて、最後まで言い出せず、塾の先生が公立ならここやろとわたしに薦めてきた学校よりもワンランク下の公立を受けたことにして、合格した報告もし、塾を卒業した・・・笑
わたしが通っていた塾だけがそうなのかは分からないけど、自己申告のみで合格の是非は確認されなかった・・・笑
でも実績として、
「●●高校・◎名合格!!」
とかチラシなどで宣伝打つわけだから、その実績を見て、その塾を選んだ人がいるかもしれないわけで、今となっては申し訳ないと思っております。
嘘はいけません。
で、余談にまみれてしまったけど、そんな状況で入学したわけだから、入学当時は勉強せずに学年5位だった。
そんなまだほっぺも赤い赤い少年は、部活に入ると、また勉強をしなくなった。
やがて、そんな部活も怪我や病気などで長期離脱を余儀なくされたにもかかわらず、勉強をしなかった。
そして、3年1学期、全教科欠点(40点以下)の399番(1人中退)中399位を叩き出す。
当然、担任に呼び出され、戦後まもなくできた古い歴史がある学校であったが、「3年時に全教科欠点をとったのは初めて」とギンギンに怒られる。
そして、夏休みには、きっちりと補習授業を受け、しっかりと成績を立て直すように、とギャンギャンに申しつけられる。
嫌われる1つ目の理由。
あまりに勉強をしなかった。
運転免許取得
そして、その夏休み。
6月生まれで、すでに18歳を迎えていたわたしは、遠く離れた岡山県まで1人で車の運転免許の合宿に行った・・・笑
完全にバカである。
進学率95%以上の学校で、同級生が皆、夏休み必死に勉強をしている中、本当に完全にバカである。
そして、夏休み明けの担任への免許取得報告。
もう、このときの状況は、筆舌に尽くしがたいので、想像に任せたい。
今思えば、何故、わざわざ報告したのか・・・
嫌われる2つ目の理由。
そんな状況での運転免許取得。
従軍慰安婦のレポート
上記2つは今となっては笑い話である。
高校のそのバカのつけは、成人して嫌となる程払った。
当たり前である。
然るべきときに勉強しなかったのだから。
そういった色々な反動で、中学時代を遙かに超す量の勉強をして、英語に縁もゆかりもない人生だったが、現在は、望んだ自宅就労で翻訳者やライターとして、文章を書くという好きなことで、紛いなりにも生活できている。
そして、仕事とは別に日々2時間くらいは、可能な限り勉強時間を確保するようにしている。
そのときの苦い経験があるから、継続して頑張れているともいえる。
話を戻すと、
3年の夏、担任とは異なる先生の社会の授業の一環で、「従軍慰安婦」のレポートを各自で調べて提出する課題が出された。
「従軍慰安婦」なる言葉と少しの知識くらいは、当時持っていた。
図書館などで、詳しく調べて行くうちに、少なからず大きな衝撃とショックを受けた。
そして、当然、現在も日韓の政治情勢の論争の的である、お互いの言い分に沿った本があるわけであり、
勉強はしなかったが、本は当時から読んでいたので、あらゆる関連本を読んでいった。
1学期の成績は、399番中399位であったが、恐らく、そのとき同級生の誰よりも一番「従軍慰安婦」関連の本を読んだ。
- 差別的に全て朝鮮人の女性で構成されていた誤解があるが、大半は日本人であって、当時、朝鮮は併合され日本であったから、日本人と同じ扱いで朝鮮の女性も混じっていた。
- 「本人の意思に反して」(日本側もこれは認めている)のこの言葉の巧みな利用。
- 「軍の関与があった」(日本側もこれは認めている)のこの言葉の巧みな利用。
「本人の意思に反して」は確かに間違いないが、それは貧しくて、親が娘を売りに出したという観点からの「本人の意思に反して」であり、
「本人の意思に反して」イコール日本軍が無理矢理連れ去ったではなく、
また、
「軍の関与があった」は、民間が慰安婦を募集し、お金を払い引き取り、軍で慰安婦として働く上で、小屋の衛生面などの管理は、軍が行ったということであり、
それが、いつの間にかすり替えられて、「本人の意思に反して」、「軍の関与」のもと、強制連行され、そのことは、「日本側も認めている」と何段にもわたって、すり替えが行われている。
そういったことも、併記した。
あくまで、上記を現在のいわゆる韓国側の主張と併記しただけである。
まだ、高校生なので、政治思想もなく、どちらに肩入れすることもなく、ただこういった意見もあるが、こういった意見もあるという風に語られている客観的事実をまとめて提出した。
高校生のわたしには、どちらが正しいかを判断する基準がなかった。
すると、その社会の先生に呼び出され、職員室に行くと、何故か担任も一緒にいるではありませんか・・・
むしろ、担任が主立って上記のような日本側の主張の部分を削除した上、再提出をするよう求めてきた。
そこでようやく、このレポートの持つ意味が分かった。
(あぁ、この人たちはそういう風な思想の持ち主で、そちらに誘導したいんだな)
と思い、
さらに日本側に沿った内容のものを再提出した・・・笑
再呼び出しは、なかった・・・笑
嫌われる3つ目の理由。
己の主義主張に沿わない「従軍慰安婦」のレポートの提出。
さいごに
いや~嫌われる要素が書いていて満載でございました。
あのレポートは今どこに行ったのか・・・
破り去られてしまったのか・・・
もう一度読んでみたい・・・
2つ目までは、自己責任で笑えますが、3つ目の思想誘導は、今考えても腹立たしい。
フェアに言えば、己の主張は当然あっても、両論あるなら、両方の素材を与えて、考えさせるのが教育者のあるべき姿である。
ちなみに、わたしの成績が悪くて、ギャンギャンに怒っていたのも、わたしのためではなく、
「不名誉だから、自分が受け持つクラスから落第者を出すわけにはいかない。」と言う保身の観点からである。
そうはっきりと言われたとき、なんだこいつ!と明らかにわたしの方がシャッターを閉じて、嫌いオーラを出していましたから。
話の流れで分かりやすい思い浮かぶ嫌われポイントを3つ挙げましたが、
まぁ、全てに共通するのは、単純に、全く意に沿わず言うことを聞かなかったという話なんですが、こちらが嫌えば嫌われるものであり、それは仕方ないとしても、先生としての資質は、著しく欠けていた人であったとも思いますが。