古事記を読む(224)下つ巻-第16代・仁徳天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

枯野からのという船

この仁徳にんとく天皇の御世に菟寸河とのきがわ(大阪府高石市富木)の西に1本の高い樹がありました。

その樹の影は、朝日に当たれば淡路島にまで届き、夕日に当たれば高安山たかやすやまを越えました。

 

そこで、この樹を切って、船を作るととても速い船になりました。

 

その船を名付けて枯野からのといいました。

 

そして、この船で朝夕に淡路島の清水を汲んで大御水おおみもい(天皇の飲料水)を献上しました。

 

やがて、この船も朽ちて壊れたので、この船を燃やして塩を焼きました。

 

そして、その焼け残った樹を使って琴を作りました。

 

すると、その琴の音は、7つの里に響き渡りました。

 

そして、次の歌を詠みました。

和歌(67)
枯野からのを 塩に焼き 其が余り 琴に作り 掻き弾くや 由良の門の 門中の海石に ふれ立つ なづの木の さやさや

枯野からのを燃やして塩を焼き、その余りで琴を作って弾くと、由良の門(淡路島洲本市由良町)海峡の海の石に揺られ立つ海藻のようにさやさやと琴の音が響いた)

 

これは志都歌しづうた歌返うたいがえしです。

 

この仁徳天皇の御寿命は、83歳。

 

8月15日に崩御しました。

 

御陵は、毛受耳原もずのみみはらにあります。

なんか爽やかな終わり。

大阪の菟寸河とのきがわの西の1本の大きな樹の影が淡路島にまで及んだという記述で、この樹がいかに大きく、イコール霊力が強い樹であったかを記しています。

枯野からのの話は、日本書紀にも出て来ますが、そんな霊力の高い樹で作った船は、当然速く、それを燃やした後の余りで作った琴の音は、遠く遠く7つの里に響き渡りました。

 

聖帝ひじりのみかどと言われた仁徳にんとく天皇の御世は、良い統治が行われたのだろうと思える終わり方です。

 

次からは、第17代履中りちゅう天皇です。

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