神話のもつアイデンティティ
この記事を書いている人 - WRITER -
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
寒さが緩まり、少しずつ活性が上がってきました。
古事記や日本の神話について話をすると大抵、
「神話でしょ」とか「フィクションでしょ」
とか言われることが多い。
・・・確かに、間違いなくフィクションである。
古事記は、戦前は「歴史書」という扱いでしたが、それは言い過ぎで、「歴史文学書」というのが正しいと思う。
古事記では、
伊邪那岐命と
伊邪那美命が矛で下界の海水を掻き回して、引き上げたときに、矛の先から海水がしたたり落ちて
淤能碁呂島(現在の淡路島の南にある沼島という説が有力)が出来たとされています。

先日観たドキュメンタリーでは、日本列島はかつて海の底で、地球の地殻変動で隆起して海から顔を出したものであり、その証拠に岐阜県の遺跡から海底生物の化石が発見されているなんてことをやっていました。
・・・恐らく、恐らく、真実は、こちらである。
洋の東西を問わず神話は、フィクションである。
ギリシャ神話に出てくる怪物なんかそれはそれは恐ろしいくらいにあり得ないし、モーゼがいくら凄かろうと海は割れません。
しかし、
フィクションだから読む価値がないというのではなく、フィクションだからこそ1つの物語として、そこに建国のアイデンティティが込められているとも言え、そこを想像して、読むのが古事記を楽しむ醍醐味だといえます。
日本神話では、伊邪那美命は、たくさんの神を生み出していきます。
山神、
水門神、
木神、
土神、
火神。
神社では、岩を御神体としていたり、山全体を御神体としていたり、日本人にとって、神というものは、キリストのように唯一無二の存在ではなく、あらゆる自然に宿る存在であり、自然を通して神を見ます。
このことは、自然を管理する対象として描く聖書とは違い、普段意識せずとも日本人のアイデンティティに大きな影響を与えているものだと思います。
優劣の話ではなく、これは文化であり、個を重んじ物事をはっきりとさせる西洋的考えと、和を重んじ物事をぼんやりとさせ、暗黙の了解で空気を読ませる日本的考えは、神話の段階で既に表れています。
つまり、神話はフィクションであっても、その民族のアイデンティティが込められているのです。
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古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」