三種の神器は、今現在どこにあるのか?

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

皇位のしるしとして、現在でも継承され、平成31年4月30日の今上きんじょう天皇のご譲位のときにも継承される、

  • 八咫鏡やたのかがみ
  • 八尺勾玉やさかのまがたま
  • 草薙剣くさなぎのつるぎ

これら三種の神器はどのように作られ、どのような歴史をたどって、現在どこにあるのか、「三種の神器」という言葉は知っていても、これらのことは案外日本人のなかでも知られていません。

 

歴史をたどると、そのすべてが神々の時代までさかのぼります。

 

天照大御神あまてらすおおみかみの孫の邇邇芸命ににぎのみことが、

神々の住む高天原たかまのはらから地上世界へと降臨する、いわゆる天孫降臨の際に、

天照大御神あまてらすおおみかみがこれら三種の神器を邇邇芸命ににぎのみことに授けて、

地上世界にもたらされたとされています。

 

その後、邇邇芸命ににぎのみことから、子ども、その子どもへと伝えられ、

初代天皇神武天皇じんむてんのうへと継承され、その後脈々と125代にわたって現在の今上きんじょう天皇まで継承されており、

天皇であっても納めた箱を開けて三種の神器そのものの姿を見ることは許されていません。

八咫鏡やたのかがみ

(イメージ)

八咫鏡やたのかがみは、三種の神器のなかでも別格とされています。

天照大御神あまてらすおおみかみ天の石屋戸あめのいわやと隠れの際に、

伊斯許理度売命いしこりどめのみことによって作られ、天孫降臨によって地上世界にもたらされます。

参考:古事記を読む(33)上つ巻-天照大御神と須佐之男命

 

その後、本体の御霊みたま形代かたしろ(レプリカ)にも分霊して、形代かたしろ宮中三殿に、本体は、伊勢神宮の内宮ないくうの正殿に奉安されています。

 

宮中三殿

三種の神器のうち八咫鏡やたのかがみのみが奉安され、歴代の天皇・皇后・皇族の御魂を祀っている場所。

宮中の中で最も神聖な空間。

 

しかし、第81代安徳あんとく天皇(1178~1185)の時代の壇ノ浦の戦いの際に、

平家は、この安徳あんとく天皇とともに三種の神器を持ち出します。

 

そして、源氏に追い詰められ、勝ち目がなくなると、二位尼にいのあま(平清盛の正室:平時子)が、

孫にあたるまだ幼い(満6歳4か月)安徳あんとく天皇と三種の神器を納めた箱を抱えたまま海に入水し、そのまま亡くなってしまいます。

 

このとき紛失危機にあった八咫鏡やたのかがみ形代かたしろでしたが、八咫鏡やたのかがみだけは、大き過ぎたのか舟上に残されていました。

 

その後、八咫鏡やたのかがみ形代かたしろは、再度、宮中に戻されますが、江戸時代の宮中の火災により粉々になってしまいます。

 

本体さえあれば、分霊して形代かたしろを作ることができるため、伊勢神宮に奉安されていた本体から、再度、分霊して形代かたしろを作りました。

 

物質そのものに価値があるという訳ではなく、あくまでその中に宿る御霊みたまに価値があるのであり、

これはお札にしろ、御守りにしろ、同じことが言えるのではないかと思います。

 

物質としては、紙や木ですが、とりわけ日本人は、受験、病気平癒、安産など御守りをありがたがり、

御守りの中を見るなんてことは正常な感覚ではできないと思います。

 

話を戻すと、

このとき分霊して作られた形代かたしろは、火災で粉々になった破片とともに現在も宮中に奉安されています。

八尺勾玉やさかのまがたま

(イメージ)

天照大御神あまてらすおおみかみ天の石屋戸あめのいわやと隠れの際に、

玉祖命たまのおやのみことによって作られ、その後、天孫降臨によって地上世界にもたらされます。

参考:古事記を読む(33)上つ巻-天照大御神と須佐之男命

 

先に書いた壇ノ浦の戦いの紛失危機の際、この八尺勾玉やさかのまがたまは、幼い安徳天皇とともに二位尼にいのあまに抱かれ、入水します。

 

しかも、八尺勾玉やさかのまがたまは本体でした。

 

これは大変だと言うことで、大捜索が行われ、

幸いなことに、数日後、八尺勾玉やさかのまがたまが海辺に打ち上げられているのが発見されます。

そして、現在は、分霊されることなく、この本体が宮中の天皇の寝室の横の剣璽けんじの間に奉安されています。

草薙剣くさなぎのつるぎ

(イメージ)

天照大御神あまてらすおおみかみの怒りを買い、

神々の住む高天原たかまのはらを追放された須佐之男命すさのおのみことは、出雲に降り立ちます。

 

そこで、出逢った老夫婦の娘が八岐大蛇やまたのおろちに食べられてしまいそうになっていたのを須佐之男命すさのおのみことが助けます。

 

そのとき、退治した八岐大蛇やまたのおろちの尻尾から草薙剣くさなぎのつるぎが出てきます。

参考:古事記を読む(45)上つ巻-天照大御神と須佐之男命

 

ドラゴンクエスト3でも「やまたのおろち」を倒したら、「くさなぎのけん」を手に入れることができましたが、古事記を読んで行くうちに、「あぁ、そういう話だったのか」と思った記憶があります。

 

八岐大蛇やまたのおろちという、悪から三種の神器の1つとなる草薙剣くさなぎのつるぎが何故出て来るのか?

 

八岐大蛇やまたのおろちは、島根県にある支流を多くもつ斐伊川ひいかわを象徴しているのではないかというのが定説です。

 

当時の人にとって、斐伊川ひいかわは、氾濫して命を奪っていく存在であったと同時に、

普段は、命の恵みをもたらしてくれる存在でもありました。

 

一方的な悪も善もなく、善悪は、表裏一体であるという思いに沿えば、

悪の八岐大蛇やまたのおろちから三種の神器の1つとなる草薙剣くさなぎのつるぎが出て来たこともすんなりと納得できるのではないでしょうか。

 

話を戻すと、

須佐之男命すさのおのみことは、その草薙剣くさなぎのつるぎを姉である天照大御神あまてらすおおみかみに献上します。

 

そして、他の2つと同様に天孫降臨によって地上世界にもたらされます。

 

その後、八咫鏡やたのかがみと同じく、分霊して形代かたしろを作り、

形代かたしろは宮中に、本体は、伊勢神宮に奉安されていました。

 

先に書いた壇ノ浦の戦いの紛失危機の際、この草薙剣くさなぎのつるぎも幼い安徳天皇とともに二位尼にいのあまに抱かれ、入水します。

 

大捜索が行われましたが、

形代かたしろとはいえ、

草薙剣くさなぎのつるぎは、見つかりませんでした。

 

後日、再度、分霊して形代かたしろを作り、形代かたしろ八尺勾玉やさかのまがたまと同じく宮中の剣璽けんじの間に、

本体は、現在、熱田神宮(愛知県)に奉安されています。

おわりに

平家のこの三種の神器の持ち出しにより、

入水した第81代安徳あんとく天皇の次の第82代後鳥羽天皇の即位の際は、皇位のしるしである「三種の神器」が揃っていないという異例の即位となりました。

このことは、後鳥羽天皇にとって、大きな引け目となって残り、その後の人生に影響を及ぼしたとされています。

 

いずれにせよ、現在、三種の神器のいずれも、本体は、そのまま現存していることになります。

 

八咫鏡やたのかがみは、本体が伊勢神宮、2代目の形代かたしろが宮中三殿、

 

八尺勾玉やさかのまがたまは、本体が宮中の剣璽けんじの間(形代かたしろなし)、

 

草薙剣くさなぎのつるぎは、本体が熱田神宮、2代目の形代かたしろが宮中の剣璽けんじの間、

に奉安されていることになります。

 

そして、125代にわたり連綿と行われてきたように、平成31年の皇位継承の際に、皇位のしるしとして継承されることになります。

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