伊勢物語-第百七段 身をしる雨

 
伊勢物語







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

(原文)

むかし、あてなる男ありけり。

 

その男のもとなりける人を、内記にありける藤原の敏行といふ人よばひけり。

 

されど若ければ、文もをさをさしからず、ことばもいひしらず、いはむや歌はよまざりければ、かのあるじなる人、案を書きて、書かせてやりけり。

 

めでまどひにけり。さて男のよめる。

和歌(183)

つれづれのながめにまさる涙河袖のみひちてあふよしもなし

 

返し、例の男、女にかはりて、

和歌(184)

あさみこそ袖はひつらめ涙河身さへながると聞かば頼まむ

 

といへりければ、男いといたうめでて、いままで、巻きて文箱ふばこに入れてありとなむいふなる。

 

男、文おこせたり。

 

得てのちのことなりけり。

 

「雨のふりぬべきになむ見わづらひはべる。身さいはひあらば、この雨はふらじ」といへりければ、例の男、女にかはりてよみてやらす。

和歌(185)

かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身をしる雨はふりぞまされる

 

とよみてやれりければ、みのかさも取りあへで、しとどに濡れてまどひ来にけり。

 

(現代訳)

昔、高貴な男がいた。

その男のもとにいた侍女に、内記であった藤原敏行という人が交際を求めた。

 

しかし、女は若かったので、手紙を書くのも慣れておらず、言葉もあまり上手く使えなかった。

 

まして歌など詠まないので、女がいる家の主人であるその高貴な男が、案を書いて、女に書かせて、敏行のもとに送った。

 

敏行は、素晴らしいと感激し、敏行が詠んだ。

 

和歌(183)

なすこともなく物思いにふけっていると、長雨による川よりも流れ落ちる涙の量が増し、袖が濡れるばかりで、貴女に逢う方法もありません。

 

返しは、例の男が女に代わって。

和歌(184)

涙で袖が濡れてしまうのは、貴方の思いが浅いからでしょう。浅瀬だからこそ袖が濡れる程度なのでしょう。もっと涙が河のように溢れて、貴方の御身さえ流されたと聞いたならば、私は貴方の恋の情を頼みにいたしましょう。

 

と言ったところ、男はたいそう感嘆して、その手紙を今まで巻いて文箱ふばこに入れてあるということだ。

 

男が手紙を送ってきた。

 

これは、女を手に入れた後のことであった。

「雨が降りそうなので、貴女のもとへ出発しようか思い悩んでいます。私の身が幸いならば、この雨は降らないでしょう」と言ってきたので、例の女の主人である高貴な男が、女に代わって詠み送った。

和歌(185)

私を思ってくださるのか、思ってくださらないのか、問うことができないので、涙を流しています。その涙が雨となってひどく降っていますが、この雨の中貴方が来てくださるなら、きっと私は幸せなのでしょう。

 

と詠み送ったところ、みのかさも身につけず、ずぶ濡れであわててやって来たのであった。

  • 内記

詔勅・宣命をつくる役所

 

 

「高貴な男」は、業平なのでしょう。

 

業平のもとに居た侍女に、藤原敏行が恋をし、手紙を寄こした…

その返事を侍女に代わって恋の百戦錬磨の業平が考えたとゆう話。

 

どのような返事が来ると、男は嬉しいのか…それを知り尽くした業平の巧妙な手紙に藤原敏行は、

手紙を巻いて、文箱ふばこに大切に保管し、

あるときは、みのかさも身につけず、ずぶ濡れであわててやって来ます。

 

歌人としても、書家としても名を馳せる藤原敏行をいとも簡単に操る業平と、それに素直に反応する藤原敏行がおもしろい。

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