伊勢物語-第七段 春の日の(伝 為氏本)

 







この記事を書いている人 - WRITER -
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

(原文)

昔、男、平城ならの京にあひ知りたる人とぶらひに行きたるに、友だちのもとには消息をばせで、うらみてふみをばやらざりける人のもとに、

和歌(10)

春の日のいたりいたらぬ里はあらじ咲ける咲かざる花のみゆらむ

 

(現代訳)

昔、男が、奈良の旧都に知人を訪ねて行ったときのこと、知人の友人のもとには、今から行くとゆう便りはせずに、恨んで手紙をやらなかった女のもとに、

和歌(10)

春の日射しが、場所により届いたり、届かなかったりする里はないでしょう。日射しはどこにでも平等に届くものです。それでも咲く花、咲かない花があるようですね。

いまいち分かりにくい文章ですが…

奈良の知人もその友人も女性で、男が恨みに思っているのは友人の方であり、そちらに和歌(10)を送った。

 

男としては、春の日射しのように分け隔てなく女性たちに愛情を注いでいるが、

花が咲かない…つまり、愛情が注がれていないと思いつれない態度をとるのは、花側の貴女に問題があるのではないでしょうか…

 

そう言いたいのでしょう。

この記事を書いている人 - WRITER -
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」




Copyright© 深夜営業ジャパノロジ堂 , 2022 All Rights Reserved.