伊勢物語-第百八段 浪こす岩
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、女、人の心を恨みて、
和歌(186)
風吹けばとはに浪こす岩なれやわが衣手のかはく時なき
と、つねのことぐさにいひけるを、聞きおひける男、
和歌(186)
宵ごとにかはづのあまた鳴く田には水こそまされ雨はふらねど
(現代訳)
昔、女が男の薄情な心を恨んで、
和歌(186)
風が吹けばいつもいつも浪が越えて濡れる岩なのでしょうか、私の袖はいつも涙で濡れて乾く時がありません。
と、いつも口癖のように言っていたので、それを聞いて、自分のせいだと思った男が、
和歌(187)
毎晩蛙がたくさん鳴く田には、雨が降らなくても、蛙の涙で水が増えるものですよ。
女は、男の薄情さに、海岸の岩を波が絶えず越えるように、私の袖はいつも涙で濡れていると…詠むと、
男は、何故か田んぼの蛙を引き合いに返歌します。
少し分かりにくいですが、田んぼで鳴いているのは、雄の蛙が雌を求めて鳴いているという設定なのでしょう。
田んぼでは雨が降らなくても、雄が雌を求める涙で水量が増す…つまり俺だって決して薄情なことはなく、涙でいつも濡れている、ということでしょう。
「海岸」と「田んぼ」の対比も分かりにくいですし、何故蛙という気もしますし、いまいち納得もできないということは、そういうことで、男が苦し紛れに返したという印象を受けてしまいます。
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