伊勢物語-第百十四段 芹河行幸 2021-11-08 WRITER 雨野やたしげ この記事を書いている人 - WRITER - 雨野やたしげ フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」 (原文) むかし、仁和の帝、芹河に行幸し給ひける時、いまはさること、似げなく思ひけれど、もとつきにけることなれば、大鷹の鷹飼にてさぶらはせ給ひける、摺狩衣すりかりぎぬのたもとに書きつける。 和歌(195) 翁さび人なとがめそ狩衣かりごろもけふばかりとぞ鶴たづも鳴くなる おほやけの御けしきあしかりけり。 おのがよはひを思ひけれど、若からぬ人は聞きおひけりとや。 (現代訳) 昔、仁和の帝が芹河に行幸された時、男を、今は年をとり、そのような鷹狩りのお供には似つかわしくないと思ったが、以前鷹飼の役目に就いていたので、大鷹の鷹飼としてお供させた。 男が、摺模様のある狩衣かりごろものたもとに書きつけた。 和歌(195) 私が老人じみてやつれているのを、人々よ、とがめないでください。狩りのお供をし狩衣かりごろもを着るのも今日限りであり、狩場の鶴たづも今日が最後と思われます。 これを聞いて、帝の機嫌は悪かった。 その男は自分の年齢を思い詠んだのだが、若くない人は、それを自分のこととして聞いたのであった。 仁和の帝 光孝天皇。 「男」は業平で、その晩年の話かと思いきや…業平は、1つ前の代の陽成天皇の御代に亡くなっており、兄・行平であろうと見るのが定説。 仁和の帝は、55歳で即位しており、即位の時点で当時では高齢の域に達しており、男が少し自虐的に詠んだ自分の年寄り話を、我が事のようにお聞きになり、気分を害されたという話。 人の心は複雑で、その配慮の難しさ。 この記事を書いている人 - WRITER - 雨野やたしげ フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」 前の記事 -Prev- 伊勢物語-第百十三段 短き心 次の記事 -Next- 伊勢物語-第百十五段 都島 関連記事 - Related Posts - 伊勢物語-第二十七段 たらひの影 伊勢物語-第百二十五段 つひにゆく道 伊勢物語-第百二十四段 我とひとしき人 伊勢物語-第一段 降りくらし(伝 為氏本) 最新記事 - New Posts - 伊勢物語 あとがき 伊勢物語-第十八段 あきの夜も(伝 為氏本) 伊勢物語-第十七段 夢と知りせば(伝 為氏本) 伊勢物語-第十六段 太刀のをがはの(伝 為氏本)