伊勢物語-第三十一段 よしや草葉よ
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、宮のうちにて、ある御達の局の前を渡りけるに、何のあたにか思ひけむ、「よしや草葉よ、ならむさが見む」といふ。
男、
和歌(64)
罪もなき人をうけへば忘れ草おのが上にぞ生ふといふなる
といふを、ねたむ女もありけり。
(現代訳)
昔、宮中である男が身分の高い女房の部屋の前を通ったところ、男のことを憎むべき敵とでも思ったのであろうか、
「まあいい、草葉みたいなもの、どんな風になっていくのか見届けてやろう」という。
男は、
和歌(64)
罪もない人を呪うようなことをすると、忘れ草が己の身の上にはえて、人に忘れ去られると言われていますよ。
という歌を聞いて、妬ましく思う女もいたのであった。
「続万葉集」八・石上乙丸の歌「忘れゆくつらさはいかにいのちあらばよしや草葉よならむさがみむ」を本歌とする。
ある男が、御達(身分の高い女房)の部屋の前を素通りしたことに対して、
訪ねてもらえると思っていた女房は、
つい「よしや草葉よ、ならむさが見む」と呪いのような言葉を男にぶつけ、男はこれに応酬します。
これに対して、この身分の高い女房の侍女が、自分の主人に嫌味で返すこの男を憎たらしく思ったのか・・・
はたまた
このある男に関心を寄せる別の女が、この軽妙な憎まれ口の才気溢れるやり取りに嫉妬したのか・・・
そういった場面です。
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