伊勢物語-第六十段 花橘

 
伊勢物語







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

(原文)

むかし、男ありけり。

 

宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自いへとうじ、まめに思はむといふ人につきて、人の国へいにけり。

 

この男、宇佐の使つかひにていきけるに、ある国の祇承しぞうの官人のにてなむあると聞きて、

「女あるじにかはらけとらせよ。さらずは飲まじ」といひければ、かはらけとりていだしたりけるに、さかななりける橘をとりて、

和歌(109)

さつき待つ花たちばなの香をかげばむかしの人の袖の香ぞする

 

といひけるにぞ思ひでて、尼になりて山に入りてぞありける。

 

(現代訳)

昔、男がいた。

 

宮廷つとめが忙しく、誠実に妻に愛情を注いでやることを怠り、そんなとき妻のもとに、

「誠意をもって愛する」という別の男に付いて行き、その男の任地である地方へ行ってしまった。

 

夫であった男が、宇佐の勅使として出掛けて行った際、ある国の接待役である役人の妻に、元妻がなっていると聞き、接待を受けるときに、

「この家の役人の妻である女主人に盃を取らせよ。そうでなければ酒は飲まない」と言ったので、

勅使である男の命令に従い、女主人が盃を取り出したところ、男は酒のつまみである橘を取り上げて、

和歌(109)

五月を待って咲く橘の花の香りをかぐと、昔なじみの人の袖の香りがします。

 

と詠むと、この女主人は、かつての夫の元を飛び出してきたことを思い出し、

あまりにやりきれなくなり、出家して尼になり山にこもって暮らしたのであった。

  • 家刀自

家の主婦

 

  • 宇佐の使つかひ

宇佐神宮(大分県)に派遣される勅使

 

  • 祇承しぞうの官人

地方の国々で勅使の接待をする役人

 

忙しく働き、かまってやれない間に、妻が別の男にそそのかされ出て行った。

そして、男は、勅使の任務中に元妻が、勅使である自分を接待する役人の妻になっている・・・つまり自分より身分の低い男の妻になっていることを知る。

 

男は、「お酌をここの女主人にやらせよ」と命じ、女主人である元妻が男に気付く前に、和歌(109)を詠む。

この歌で、元妻は、勅使が元夫であることを知り、過去の出来事、浅はかさ、恥ずかしさ、現在の自分の身分・・・様々な思いが押し寄せ、のちに出家してしまったという話。

 

まず、解釈が揺らぎようがないのは、この元妻である女の浅はかさ、短絡さ。

そして、解釈が揺らぐのが、男はどういう気持ちでそのような行動をとったのか・・・

 

1つ言えるのは、男がこの元妻に未練があり、取り戻す気持ちではないということ。

揺らぎは、意地の悪い気持ちからなのか、単に懐かしみでひと目見て、話を交わしたいという気持ちからなのか。

 

前者なら、だいぶ色合いが変わり、なんとも救いがない後味の悪い話である。

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