伊勢物語-第八十五段 目離れせぬ雪
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、男ありけり。
童よりつかうまつりける君、御ぐしおろし給うてけり。
正月にはかならずまうでけり。
おほやけの宮仕へしければ、常にはえまうでず。
されど、もとの心うしなはでまうでけるになむありける。
むかしつかうまつりし人、俗なる、禅師なるあまた参りあつまりて、正月なればことだつとて、大御酒たまひけり。
雪こぼすがごと降りて、ひねもすにやまず。
みな人酔ひて、雪にふりこめられたり、といてを題にて、歌ありけり。
和歌(155)
思へども身をしわけねば目離れせぬ雪の積るぞわが心なる
とよめりければ、親王いといたうあはれがり給うて、御衣ぬぎてたまへりけり。
(現代訳)
昔、男がいた。
子どものときからお仕えしていた主君が、ご出家なさった。
正月には必ずこの主君のもとに参上した。
男は、朝廷へ出仕していたので、いつも参上できるわけではない。
けれども、以前からの忠誠の気持ちを失うことなく、参上したのであった。
昔、お仕えしていた人、僧でない人も僧も、大勢が参上して、正月なので改まったことをしようということで、御酒をくださった。
雪がまるで空の器を傾けてこぼしたような勢いで降り、一日中降り止まない。
皆酔って、「雪がひどくて外に出ることができなくなってしまっている」ということを題にして歌を詠んだ。
和歌(155)
いつも大切に慕い、お仕えしたい気持ちは募りますが、私は朝廷へ出仕している身であり、私の体を二つに分けることができないので、この激しく降りしきる雪が積もって、帰ることができないことは、私にとっては都合が良いことです。
と詠んだところ、主君の親王は、大層感動されて、お召し物を脱いで褒美としてくだされたのであった。
ここ数段の流れから鑑みると、この段は、惟喬親王と業平の交流とみるのが自然ですが、「子どものときからお仕えしていた」とあり、
業平は、惟喬親王よりも19歳年上ですので、話としては矛盾があります。
上記の矛盾はありますが、「出家」、「朝廷へ出仕」など八十二段からの流れを見ると、やはり惟喬親王と業平と見るのが自然なのでしょう。
この段の情景を深めるために「子どものときからお仕えしていた」という設定にしたのでしょうか…??
男は、和歌(155)を詠み上げ、主君の感動を誘います。
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