伊勢物語-第六十六段 みつの浦
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、男、津の国にしる所ありけるに、あにおとと友だちひきゐて、難波の方にいきけり。
渚を見れば、舟どものあるを見て、
和歌(123)
難波津を今朝こそみつの浦ごとにこれやこの世をうみ渡る舟
これをあはれがりて、人々かへりにけり。
(現代訳)
昔、ある男が摂津の国に所領地があったので、兄弟友だちをひきつれて難波の方へ行ったのであった。
渚を見ると、多くの舟があるのを見て、
和歌(123)
難波津を今朝初めて見たが、港の入江ごとに舟が多く停泊し、これが大海をわたり、世の中を憂い歎きつつ過ごす人々が乗る舟であろうか。
この歌を聞いて感動した人々は、帰ってしまったのであった。
摂津国。現在の大阪と兵庫にまたがる地域。
業平は、難波の渚を見た際に船がずらっと停泊している様を、ああこれが、大海を渡る船であり、憂い歎きつつ過ごす人が乗る船と見ました。
何故か?
一つの解釈としては、兄・行平が摂津須磨に流されたことが関係しているというもの。
「わくら葉に問ふ人あれば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ」(「古今集」雑下)
詞書は、
「田村の御時に、事にあたりて津の国の須磨といふ所にこもりはべりけるに、宮にうちにはべりける人に遣はしける 在原行平朝臣」
行平が摂津須磨に流された事情は、詳しくわからないが、
弟である業平が、たくさんの舟を見た際に、行平のことが思い起こされ、
「憂み」悲しんでも不思議はないのかもしれない。
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