伊勢物語-第七十六段 小塩の山
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、二条の后のまだ春宮の御息所と申しける時、
氏神にまうでたまひけるに、近衛府にさぶらひける翁、人々の禄たまはるついでに、御車よりたまはりて、よみて奉りける。
和歌(139)
大原や小塩の山も今日こそは神代のこともおもひいづらめ
とて、心にもかなしとや思ひけむ、いかが思ひけむ、知らずかし。
(現代訳)
昔、二条の后高子がまだ皇太子の母である御息所と申されていた時、
祖先神をお参いりしたところ、近衛府に仕えている老人が、人々が衣などの褒美を賜るついでに、御息所の御車より褒美を賜って、御礼として、次の歌を詠んで奉った。
和歌(139)
大原野において、この小塩山も今日は、神代のことを思い出していることだろう。
と詠んで、翁は心でも嘆いたであろうか、どう思ったであろうか、それは分からない。
高子は藤原氏出身なので、その先祖となると
天児屋根命。大原野神社に祀られる。
高子が、恒例である大原野神社をお参りする際に、業平が、近衛府の役人として随行する。
和歌(139)の「神代」のこととは、天皇家の血をひく業平の祖である瓊瓊杵尊が天孫降臨する際に、藤原氏の祖である天児屋根命が守護したことに基づく。
神代のご先祖も共にときを過ごし、我々も若かりしとき、共にときを過ごしましたね…
周囲には、神代のことを詠っていると思わせて、当人同士には関係のあった若かりし日を想起させる業平の秀逸な歌。
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