伊勢物語-第八十一段 塩竃

 
伊勢物語







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

(原文)

むかし、左のおほいまうちぎみいまそがりけり。

 

賀茂河のほとりに、六条わたりに、家をいとおもしろくつくりて、住みたまひけり。

 

十月かんなづきのつごもりがた、菊の花うつろひさかりなるに、もみぢのちぐさに見ゆるをり、

親王みこたちおはしまさせて、夜ひと夜、酒飲みし遊びて、夜明けもてゆくほどに、この殿のおもしろきをほむる歌よむ。

 

そこにありけるかたゐ翁、板敷いたじきのしたにはひ歩きて、人にみなよませはててよめる、

和歌(144)
塩竃しおがまにいつか来にけむ朝なぎに釣する船はここに寄らなむ

 

となむよみけるは、陸奥みちの国にいきたりけるに、あやしくおもろしき所々多かりけり。

 

わがみかど六十余国のなかに、塩竃しおがまといふ所に似たる所なかりけり。

 

さればなむ、かの翁さらにここをめでて、塩竃しおがまにいつか来にけむとよめりける。

 

(現代訳)

昔、左大臣がいらっしゃった。

 

賀茂川のほとりの六条あたりに、邸宅をたいそう趣深く風情があるように造ってお住まいになっていた。

 

十月の末頃、菊の花が満開を過ぎて色合いが変わる頃、紅葉がさまざまな色合いに見える頃に、親王みこたちをお招きして、

一晩中、酒宴をひらき、音楽を楽しんで、夜が明けてゆく頃に、この御殿の趣深いことを歌にして詠む。

 

そこにいた乞食のような老人が、板敷の下を這い回り、人々にみな詠ませ終わってから、最後に詠んだ。

和歌(144)
塩竃しおがまにいつの間に来てしまったのだろうか。朝なぎに魚釣りをする舟は、この塩竃の浦に寄って来てほしい。

 

と見事に詠んだことよ。

 

この老人が陸奥の国に行ったとき、風情のある趣深い所が多くあった。

 

わが日本全国のうち、塩竃しおがまという所に似た所は無かったのであった。

 

それだからこそ、この老人はいっそうこの場所を愛して、「塩竃しおがまにいつの間に来てしまったのだろうか」と詠んだのであった。

  • 左のおほいまうちぎみ

河原左大臣源融みなもとのとおる。嵯峨天皇第十二皇子。六条河原に邸宅を造り贅沢を尽くし、風流を満喫した。

 

  • 塩竃しおがま

宮城県松島湾内の歌枕。「古今集」には「陸奥はいづくはあれど塩竃しおがまの浦漕ぐ舟の綱手かなしも」なども。

 

  • かたゐ翁

業平のこと。乞食のような…家運は相当傾いているのが分かる表現です。

 

 

東北の歌枕と名高い塩竃しおがま

かつて、そこを訪れたことがある業平は、歌を詠みます。

京の六条河原の左大臣源融みなもとのとおる宅を訪れていたはずが、「塩竃しおがまにいつの間に来てしまったのだろうか。」と。

 

業平は、かつて訪れたことがある歌枕塩竃しおがまにいるかのような錯覚を覚えました。

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