(原文)
むかし、左のおほいまうちぎみいまそがりけり。
賀茂河のほとりに、六条わたりに、家をいとおもしろくつくりて、住みたまひけり。
十月のつごもりがた、菊の花うつろひさかりなるに、もみぢのちぐさに見ゆるをり、
親王たちおはしまさせて、夜ひと夜、酒飲みし遊びて、夜明けもてゆくほどに、この殿のおもしろきをほむる歌よむ。
そこにありけるかたゐ翁、板敷のしたにはひ歩きて、人にみなよませはててよめる、
和歌(144)
塩竃にいつか来にけむ朝なぎに釣する船はここに寄らなむ
となむよみけるは、陸奥の国にいきたりけるに、あやしくおもろしき所々多かりけり。
わがみかど六十余国のなかに、塩竃といふ所に似たる所なかりけり。
さればなむ、かの翁さらにここをめでて、塩竃にいつか来にけむとよめりける。
(現代訳)
昔、左大臣がいらっしゃった。
賀茂川のほとりの六条あたりに、邸宅をたいそう趣深く風情があるように造ってお住まいになっていた。
十月の末頃、菊の花が満開を過ぎて色合いが変わる頃、紅葉がさまざまな色合いに見える頃に、親王たちをお招きして、
一晩中、酒宴をひらき、音楽を楽しんで、夜が明けてゆく頃に、この御殿の趣深いことを歌にして詠む。
そこにいた乞食のような老人が、板敷の下を這い回り、人々にみな詠ませ終わってから、最後に詠んだ。
和歌(144)
塩竃にいつの間に来てしまったのだろうか。朝なぎに魚釣りをする舟は、この塩竃の浦に寄って来てほしい。
と見事に詠んだことよ。
この老人が陸奥の国に行ったとき、風情のある趣深い所が多くあった。
わが日本全国のうち、塩竃という所に似た所は無かったのであった。
それだからこそ、この老人はいっそうこの場所を愛して、「塩竃にいつの間に来てしまったのだろうか」と詠んだのであった。