伊勢物語-第九十七段 四十の賀
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、堀河のおほいまうちぎみと申すいまそがりけり。
四十の賀、九条の家にてせられける日、中将なりけるおきな、
和歌(172)
桜花散りかひ曇れ老いらくの来むといふなる道まがふがに
(現代訳)
昔、堀川の大臣と申す方がいらっしゃった。
四十歳の祝賀が九条にある邸で催された時、中将であった老人が、次のように詠んだ。
和歌(172)
桜の花よ。散り乱れてあたりを曇らせておくれ。老いというものがやって来るという道が、わからなくなるように。
堀河に邸があった藤原基経大臣のこと。
近衛中将であった業平のこと。
基経との年齢差を考えると、このとき業平51歳。
当時なら、51歳は、「翁」扱いということでしょう…
『古今集』の賀歌の巻(349)にそのまま収録されています。
詞書を見ると、
「堀河大臣の四十の賀、九條の家にてしけるときによめる」在原業平朝臣
和歌としては、
「散る」、「曇り」、「老い」など祝賀の席では、普通は使用しない単語を前半部分で連発し、最後に「道まがふがに(道がわからなくなるように)」で全て好転させています。
業平が和歌を詠み上げている前半部分、周囲の人達は、眉をひそめているのかもしれません…笑
短い段でしたが、この和歌は、『古今集』に収録されているだけあって、面白い演出の入った和歌ですよね…
業平の遊び心を感じます。
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