古事記を読む(116)上つ巻-日向三代
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
海幸彦と山幸彦
海神の娘の豊玉毘売は、自身で火遠理命の元へ参上して、
「わたしは、すでに身籠もっています。今、まさに出産するときを迎えました。このことで思いますのは、天つ神の御子は、海中で産むべきではございません。そこで参上いたしました」
と言いました。
そこで、海辺の渚に鵜の羽を屋根や壁の葺草の代わりにして、産屋を作りました。
しかし、その産屋がまだ葺き終わる前に、豊玉毘売は、お腹が切迫し、耐え切れなくなり、産屋に入りました。
いざ出産というときに、
豊玉毘売は、
火遠理命に、
「他の世界の人は、出産のときには、本国の姿となって出産いたします。ですからわたしも本来の姿となって出産いたしますので、どうかわたしをご覧にならないでください」
と言いました。
はい、ここでお約束のネタ振りが出ました。
この鶴の恩返し的な「絶対に見ないでください」で、見なかった例はありません。
「絶対に見ないでください」というには、訳があるものです。それは、往々にして、人でなかったり、醜い姿であったり。
「鶴の恩返し」にしろ、「雪女」にしろ、本来の姿が、人でなかったり、醜い姿であってもそのまま約束を守り続ければ恩恵を与えてくれたものです。
平時の穏やかなときは、恩恵を与えてくれる斐伊川、その氾濫時を八岐大蛇に例えたのも一緒で、つまり表裏一体という思想が根底にあるのだと思います。
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