古事記を読む(193)中つ巻-第14代・仲哀天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
后妃と皇子女
帯中日子天皇(
仲哀天皇)は、
穴門の
豊浦宮(山口県下関市)、
また筑紫の訶志比宮(福岡県東区)で天下を統治なさいました。
仲哀天皇が、
大江王の娘である
大中津比売命と結婚して生まれた子が、
香坂王、
忍熊王。
併せて2柱。
また、大后の息長帯比売命(神功皇后)と結婚して生まれた子が、
品夜和気命、
大鞆和気命、別名
品陀和気命。
この太子の御名を大鞆和気命という名前にしたのは、生まれたときに、鞆のような形に腕が成っていたからです。
太子は、母親のお腹の胎内にいたときから国を統治なさいました。
母親のお腹の胎内にいたときから国を統治なさいました:のちに出て来ますが、母親である神功皇后は、妊娠した身で朝鮮征伐に赴きます。そのときお腹の中にいたのが、大鞆和気命です。
こういったエピソードがその人物の神格化につながります。
それまでの天皇は、大和を中心に天下を統治してきましたが、仲哀天皇は、その中心地を九州に置きます。
その理由としては、前に倭建命が征伐した南九州の熊曾の反乱があったとされています。
大鞆和気命は、のちに
応神天皇となります。
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