古事記を読む(134)中つ巻-初代・神武天皇

 







この記事を書いている人 - WRITER -
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

伊須気余理比売いすけよりひめ

7人の媛女おとめが、高佐士野たかさじので遊んでおりました。

その7人の媛女おとめの中に伊須気余理比売いすけよりひめがいました。

大久米命おおくめのみことは、伊須気余理比売いすけよりひめがいるのを見ると、次の歌をお詠みになり神武天皇に申し上げました。

和歌(16)

倭の 高佐士野を 七行く 媛女ども 誰れをしまかむ

(大和の高佐士野たかさじのを行く、7人の乙女たちよ
誰を妻にしましょうか?)

 

伊須気余理比売いすけよりひめは、媛女おとめたちの一番前に立っており、

神武天皇は、その媛女おとめたちをご覧になり、伊須気余理比売いすけよりひめが一番前に立っていることを知ると、次の歌をお詠みになりました。

和歌(17)

かつがつも いやさき立てる 兄をしまかむ

(まぁあえて言うなら、一番前に立っている年上の乙女を抱いて寝よう。)

 

そして、大久米命おおくめのみことが神武天皇のめいのもと、そのお言葉を伊須気余理比売いすけよりひめに伝えると、

伊須気余理比売いすけよりひめは、大久米命おおくめのみことが目尻に入れ墨をして目が裂けているように見えたので、不思議に思い次の歌をお詠みになりました。

和歌(18)

あめ つつ ちどり ましとと などける利目

(どうして目尻に入れ墨を入れて目を鋭くしているのですか?)

 

これに対して、

大久米命おおくめのみことは、次の歌をお詠みになり答えました。

和歌(19)

媛女に 直に逢はむと 我がさける利目

(乙女であるあなたに会うのに入れ墨をして目を鋭く見開いているのです。)

 

これに対して、

伊須気余理比売いすけよりひめは、「お仕えいたします」とお答えになりました。

 

伊須気余理比売いすけよりひめの家は、狭井河さいがわの上流にありました。

神武天皇は、伊須気余理比売いすけよりひめのもとへお出かけになり、一夜をお過ごしになりました。

 

ところで、その河を狭井河さいがわというのは、その河に山百合やまゆりがたくさん生えていることから、

山百合やまゆりの名をとり、狭井河さいがわと名付けたのです。

 

山百合やまゆりの元の名は、「佐韋さい」といいます。

 

のちに、伊須気余理比売いすけよりひめが宮中に来られたとき、神武天皇は、次の歌をお詠みになりました。

和歌(20)
葦原の しけしき小屋に 菅畳すがたたみ いやさや敷きて わが二人寝し

(葦原の荒れた小屋にすげ(植物)で作った畳を敷いて、わたしたちは2人で寝たことよ。)

 

こうしてお生まれになった御子の名が、
日子八井命ひこやいのみこと

次に、

神八井耳命かむやいみみのみこと

次に、

神沼河耳命かむぬなかはみみのみこと(第2代綏靖すいぜい天皇)

の三柱です。

和歌(17):「かつがつも」に照れが表われています。「(乗り気じゃないけど)まぁ、あえて言うなら」、「さしあたって」とかそのようなニュアンスです。

 

このあたりは、とんとん拍子に話が進んで行きます。

神武天皇が伊須気余理比売いすけよりひめをお求めになるくだりは、今で言うコンパのようなものでしょうか。

神武天皇は、皇后をお見つけになり、のちの第2代綏靖すいぜい天皇となる神沼河耳命かむぬなかはみみのみことがお生まれになりました。

この記事を書いている人 - WRITER -
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」




Copyright© 深夜営業ジャパノロジ堂 , 2018 All Rights Reserved.