古事記を読む(213)中つ巻-第15代・応神天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

秋山之下氷壮夫あきやまのしたひおとこ春山之霞壮夫はるやまのかすみおとこ

この伊豆志の社の八座の大神には娘がおり、名を伊豆志袁登売神いずしおとめのかみといいました。

たくさんの神々が、この伊豆志袁登売神いずしおとめのかみを娶ろうと思っていましたが、誰も結婚することはできませんでした。

 

ここに2柱の神がいました。

兄は、秋山之下氷壮夫あきやまのしたひおとこといい、

弟は、春山之霞壮夫はるやまのかすみおとこといいます。

 

兄が弟に、

「わたしは、伊豆志袁登売神いずしおとめのかみを求めたが、妻とすることはできなかった。おまえは、伊豆志袁登売神いずしおとめのかみを妻にすることができるか」

と聞くと、

 

弟は、

「簡単なことです」

と答えました。

 

すると、兄は、

「もし、おまえが伊豆志袁登売神いずしおとめのかみを妻とすることができたならば、上下の衣服を脱ぎ、身長を計り、それと同じ高さのかめに酒を醸して、山や川のものの産物を用意してやろう」

と言いました。

 

弟は、兄の言ったことを母に詳しく伝えると、

母は、藤のつるを取ってくると、一晩の間に衣服と履物を織り、さらに弓矢を作って、これらを弟の春山之霞壮夫はるやまのかすみおとこに着せると、伊豆志袁登売神いずしおとめのかみの家へと向かわせると、その衣服や弓矢は、ことごとく藤の花になりました。

弟の春山之霞壮夫はるやまのかすみおとこは、弓矢を伊豆志袁登売神いずしおとめのかみの家の便所に立て掛けました。

 

伊豆志袁登売神いずしおとめのかみは、その弓矢に咲いた藤の花を奇妙に思い、持って来ようとしたとき、弟の春山之霞壮夫はるやまのかすみおとこは、伊豆志袁登売神いずしおとめのかみの後に立って家に入ってまぐわいをしました。

 

そして、1人の子が生まれました。

 

弟の春山之霞壮夫はるやまのかすみおとこは、兄に、

「わたしは、伊豆志袁登売神いずしおとめのかみを妻にしました」

と言いました。

 

しかし、兄は弟が伊豆志袁登売神いずしおとめのかみを妻にしたことに気を悪くして、約束を守りませんでした。

 

そして、弟は、このことをうれえて母親に言いました。

 

母親は、

「この世の事は、神に習うべきです。しかし、約束を守らないとは、現実の人に習ってしまったのでしょうか」

と言うと、

兄を恨み、伊豆志河の竹を取って、編目の粗い竹籠を作ると、川の石を取ると塩と混ぜ合わせて竹の葉に包み、次のような呪いの言葉を掛けました。

 

「この竹の葉がしおれるように、しおれよ。

この潮が引くように、干からびよ。

この石が沈むように、はいつくばれ」

と呪いの言葉を掛けると、かまどの上に置きました。

古事記では、兄弟間での争いは、往々にして弟に軍配が上がります。

この時代の日本は、末子相続ですから当然と言えば当然ですが・・・

 

古事記での恋愛は、一瞬で成立するものですが、他の例は、最低限目を合わせて、その瞬間に互いに好きになるものでしたが、

この春山之霞壮夫はるやまのかすみおとこ伊豆志袁登売神いずしおとめのかみは、最初に目を合わせた様子もなく、後ろに着いたまま家に入り込んだ感じです。

惹かれ合った記述がありません。

 

そして、その後の兄弟のやり取りは、どことなく、海幸彦と山幸彦の話を彷彿とするものがあり、さらに輪を掛けて母親の弟への贔屓っぷりが凄く、最終的に兄に呪いの言葉を掛けてしまいます。

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