古事記を読む(156)中つ巻-第10代・崇神天皇
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
将軍の派遣
日子国夫玖命は、
「そちら側から忌矢を撃ちなさい」
と建波邇安王に言いました。
そこで、建波邇安王が矢を射ましたが、当たりませんでした。
次に、日子国夫玖命が矢を射ると、建波邇安王に命中して死んでしまいました。
この建波邇安王の死によって、建波邇安王の軍勢は、ことごとく総崩れとなり、散り散りになって逃げました。
その逃げる軍を追って、久須婆の度(大阪府枚方市楠葉)に着いたときに、建波邇安王の軍勢は、追い詰められて恐ろしくて脱糞して、袴に掛かってしまいました。
そこでこの土地を「糞袴」と言い、現在は久須婆と呼ばれています。
また、逃げる軍を遮って斬ると、鵜のように河に死体が浮かびました。
そこでこの河を「鵜河」と言います。
さらに、兵を斬り放ったので、この地を波布理曽能(京都府精華町)と言います。
大毘古命と
日子国夫玖命は、こうして戦に勝って山代国を平定して、都の
崇神天皇に報告しました。
忌矢:戦の初めに互いに吉兆を祈って射合う神聖な矢。
忌矢は、要は、戦を始めるにあたっての儀式みたいなもの。
名を名乗のった武士道に少し通じる部分もありますが、まだほど遠く、結構めちゃくちゃやっています。
わたし的に、面白くもなんともない土地にからめた駄洒落が今後も続発します。
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