古事記を読む(183)中つ巻-第12代・景行天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
倭建命の東征
すると、荒波は自然と収まり、倭建命は、船を進めることができました。
このとき、弟橘比売命は、次の歌をお詠みになりました。
和歌(23)
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
(相模の野原に燃える火のその火の中に立って呼びかけてくださった夫よ)
その7日後、弟橘比売命の櫛が海辺で見つかりました。
倭建命は、御陵を作り、その櫛を納めました。
倭建命が、そこからさらに進むと、荒々しい
蝦夷たちがおりましたが、ことごとく説得し、平定して、山河の荒ぶる神々を平定しました。
大和への帰り道、足柄に着いたとき乾飯を食べていると、その足柄の坂の神が白い鹿となって現れました。
倭建命は、食べ残した
蒜のかけらを投げると、その鹿の目に当たって死んでしまいました。
倭建命は、その坂に登ると3度ため息をついて、
「我が妻よ」
と仰せになりました。
そういう訳で、この土地を阿豆麻と呼ぶようになりました。
和歌(23):「さねさし」は、「相武」にかかる枕詞。
乾飯:保存用のご飯。
蒜は、字からも分かる通り、ニンニクのような匂いがあります。ただの植物を投げて物理的に神を殺したというよりも、邪気を払うと言われているニンニクの匂いも一役買ったという方が自然かもしれません。
またまたまたの土地に関する駄洒落ですね。
「我が妻よ」は、「吾妻」、そして「阿豆麻」。
倭建命は、現在東征中ですが、「東」も「あづま」と読みますね。
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